本日、拙ブログへの訪問者がのべ1,600万人を超えました。いつもお読みいただき、ありがとうございます。地味なメンテナンス作業にもウンザリ気味ですので、しばらく記事をつづけて書いてみたいと思います。あまり秋が深まらないうちに、この夏書きそこなった落合地域の近辺で語られつづける、100年越しの怪談から……。w
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2014年(平成26)に角川書店から出版された『女たちの怪談百物語』(角川文庫)の中に、落合地域の西隣り、新井薬師駅の周辺で起きた妖怪譚が収録されている。脚本家で作家の長島槇子が、学生時代に下宿していたアパートで体験した怪談だ。大学1年生のときの体験というから、おそらく1970年代の初めごろのことなのだろう。
収録されているのは、百物語のうちの第22話で長島槇子『人間じゃない』というエピソードだ。当時、彼女は新井薬師駅から徒歩15分ほどのところにあるアパートの1階に住んでおり、アパート前の接道は坂になっていた。その坂道の両側には、墓地が拡がっているような環境だった。アパート周辺の状況を、同書から少し引用してみよう。
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(前略)アパートの前は坂道なんですが、両側が墓地だったんですよ。坂の上から見下ろすと、塀ごしに墓が見える。片側は道に面して家が並んでいるんですが、その裏はやっぱり墓地なんですね。とにかく墓場だらけの所なんですよ(笑)。/アパートには共同の水場があって、当時の学生は洗濯機なんかなかったから、タライで洗濯していたんですが、その水場から建物の裏を抜けて、墓地に入って行けました。
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駅から女性の足で15分ぐらいの距離で、坂道の片側に塀がつづき、その向こう側に墓地が見えるが、反対側につづく住宅のうしろ側もまた墓地だ……という風情を聞けば、新井薬師駅の周辺に住んでいる方なら、「ああ、あそこだね」と思い当たる人も多いだろう。中野区の口承伝承の中でも、かなり「怪異・霊異」の説話が多く語られ、中野区教育委員会によって多くの伝承が記録されている某寺の近くにある坂道だ。
学生だった彼女は、訪ねてきた学友のUさんとアパートで酒盛りをはじめるが、酔いがまわったところでUさんが墓場へ遊びにいこうといい出す。ふたりで墓場を一巡したあと、部屋にもどってみるとUさんの手が切れて出血していた。軽傷だったが、友人は「バチが当たった」と一言いうだけで、ふたりともすぐに寝てしまった。そのまま、当日はなにごとも起きずにすぎたが、友人が帰った翌日の夜のこと、ベッドで寝ていた彼女は夜中に目をさました。窓際に置かれた机のほうを見ると、椅子に白い影が座っている。
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ぼんやりと白く見えているだけなんですが、それが子供で、女の子で、おかっぱ頭でスカートをはいている、ということは分かるんです。/目が離せないで見ていると、その子がこちらを向き始めた。椅子は背もたれのある回転椅子だったんですが、首だけが、私の方に向いてくる。/ゆっくりと、首をひねって向いてくるのが、たまらなく恐いんですけど、やめてとも、キャーとも声が出せなくて、ただ、見ている他ないんです。/真っ白な顔でした。髪の毛も白くて、顔も白い。正面を向いた、その子の顔が……人間じゃない……。/目も鼻もなくて口だけの顔でした。その口も、耳まで裂けていたんです。(中略) 『お歯黒べったり』という妖怪に似ています。貉が化ける『のっぺらぼう』とも合致します。目も鼻もない顔の、耳まで裂けていた口を、今でも思い出せますから、夢ではなかったと思います。
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髪の毛はおかっぱで、スカートをはいた女の子というかたちは、少なくとも大正期以降の風俗をしている「お化け」ということになりそうだ。書かれている、江戸期に多く出現した「お歯黒べったり」や「のっぺらぼう」とは風俗が合致しない。ただし、これらの妖怪たちが時代々々に合わせコスチュームを取り替える、つまり積極的に「現代風」のファッションを身にまとい、着替えを楽しみながら人々を脅かすために出現している……というなら話は別だ。
実は、これと似たような怪談話が、長島槇子の住んでいたアパートの周辺一帯で、幕末ないしは明治初期にかけて語られていたことが、中野区教育委員会が作成した地元の資料に記録されている。もっとも、江戸時代が終わったばかりのころのその「お化け」は、家の中にではなく近くの川の橋の上に出現している。もし、長島槇子が暮らしたアパートの近くの川に出現しているとすれば、ほどなく落合地域へと流れこむ北川Click!、もちろん現代の妙正寺川Click!ということになる。
1987年(昭和62)に中野区教育委員会が出版した報告書冊子、『口承文芸調査報告書/中野の昔話・伝説・世間話』からさっそく引用してみよう。語っているのは1902年(明治35)生まれで、上高田の北側に位置する江古田地域に住んでいた男性だが、その父親の世代が体験した話だ。「お化け」が出現したのは江古田地域の橋とは限らないと、わざわざ最初に断りを入れてから話しはじめている。ちなみに、中野区教育委員会ではこのお化けのことを「口裂け女」と名づけている。w
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ある晩ですねぇ、月夜の晩に、橋の上にですねぇ、耳の方まで裂けたね、婦人がねぇ、このぅ、なんていいますか、髪をすいてたっていうんですよ。橋の上で。それで、そこ行けない、渡って帰れなかったっていうんです。その人が。父の友人ですから。なに、どうして、そのね、ああいうとこに夜中にね、婦人が出てましてね、髪をすいてるんだろうって。/それは、髪をすいてたってことは、後の話なんですけども。最初はね、ここまで、耳まで口が裂けていて、それで、乱れ髪の、こう、髪がね、綴じてなくって。それで、橋の、ちょうどま上でね、やってたっていうんです。そういうのを遠くから見て、そこを通らなくっちゃ帰れないんで、ずいぶん立ち止まっちゃったそうです。その人が。
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橋を渡らなければ帰れない、つまり江古田村にある自宅へ帰宅できないとすれば、もちろんこのお化けは江古田村内の橋に出現しているのではない……という解釈が成立する。また、長島槇子がアパートで目撃したおかっぱ頭の「女の子」と、明治初期の橋の上に出現した乱れ髪を櫛でとかす「婦人」とは、年齢的にまったく一致しない。だが、これらの耳まで裂けた口をしている女が、幽霊ではなくお化け=妖怪のたぐいだと想定すれば、あながち不思議でも不可解でもないことになる。
妖怪変化(へんげ)であれば、出現する場所や時代に合わせ、あるいは脅かす相手に応じて柔軟に変化自在であり、相手が若い男であれば近づいて注視するよう「妙齢の婦人」に化けて髪をとかし、相手がひとり暮らしの女子学生であれば、当時、少女マンガで流行っていたへび少女Click!風の「怖い女の子」に化けては勉強机の前に座っていたりする……。
しこたま酔っぱらって学友と墓場で遊んだ長島槇子は、江戸期から延々と同地域に棲みついている「お歯黒べったり」あるいは「のっぺらぼう」、現代風の名称でいうなら「口裂け女」(中野区教育委員会)に類似する妖怪に見とがめられ、二度と墓地の静寂を破らないよう戒めや教訓を与えようと脅かされているのかもしれない。ひょっとすると、その妖怪は彼女がもっとも怖がるシチュエーションを研究し、アパートの部屋にあった「少女フレンド」に掲載の、楳図かずおの作品かなにかを参考にしているのかもしれない。
◆写真上:新井薬師駅からしばらく歩いた場所にある、墓地に面した坂道のひとつ。
◆写真中上:上は、1841年(天保12)に出版された桃山人『絵本百物語』の中に登場する「歯黒べったり」。下は、1779年(安永8)に出版された恋川春町『妖怪仕内評判記』に掲載の口だけがついた「のっぺらぼう」に近似した妖怪。
◆写真中下:上は、水木しげるが描く妖怪「お歯黒べったり」。下左は、日本民話の会Click!・監修で2005年(平成17)に出版された「口裂け女」が登場する『学校の怪談/三』(ポプラ社)。下右は、最近はロサンゼルスまで出張してご多忙な「口裂け女」さん。『Slit Mouth Woman in L.A.』(2014年)より。
◆写真下:上は、上高田の光徳院にある太子堂。下は、同じく上高田の萬昌院功運寺にある浮世絵師の初代豊国・二代豊国・三代豊国(歌川国貞)の墓。