大正期から昭和期にかけ、人々はどのような広告を目にしていたのか、これまで多種多様なメディアの広告をご紹介してきた。たとえば、大正期を代表する児童雑誌「赤い鳥」Click!に掲載の広告をはじめ、地域誌(たとえば『高田村誌』Click!や『落合町誌』Click!)の広告、主婦向けの雑誌広告Click!、スポーツ広告Click!、グラフ誌の広告Click!、共産党の機関誌「戦旗」Click!の広告、新聞各紙の広告Click!、敗戦後まもない時期の広告類Click!、そして商品テーマごと(たとえば石鹸Click!やディベロッパーClick!や牛乳Click!)など、さまざまな時代の世相を映す広告表現について取りあげてきた。
本記事でご紹介する媒体広告も、当時の世相や風俗を知るうえでは面白い素材だろう。1926年(大正15)9月1日に発行された東京朝日新聞の、1面すべてを使って掲載された6社の広告だ。しかも、広告主の社名が伏字になって、それを当てるクイズ形式になっているのがめずらしい。モデルを起用した写真やイラストが中心の表現で、当時としては“流行り”で先端のグラフィック表現だったのだろう。では、1社ずつ見ていこう。
召せ……………/純国産品の権威/大黒葡萄酒を
葡萄天然の美味を保有し/優越なる滋養量と/然も経済にも適合せる
キット皆様に/御満足をさゝげます
東京市外下落合一〇 甲〇産〇店
いわずと知れた、下落合10番地に壜詰工場Click!があった大黒葡萄酒Click!の広告で、社名は「甲斐産商店」が正解だ。どこか女給さんのような、派手な着物を着た女性がグラス片手にニッコリしているのは、この手の広告にありがちなビジュアルなのだけれど、コピーの日本語が不自由で明らかにまちがっている。
この当時、専門のグラフィックデザイナーはもちろんコピーライターも存在せず、企業の広報部や役員自身が広告の文案を考えるのがあたりまえの時代だった。だから、中には表現や用法がおかしく、文章の主体や客体がクルクル入れ替わる、文脈の通らないコピーが少なからず存在している。
米車/インデアンの/―特徴―/品質堅牢・優美・頗る経済的にして
重量車 大チーフ型 (プリンセスサイドカー附)
中量車 スカウト型 (軽量車プリンス型)
何もインデアン独特の電気装置完備し価格最も勉強也
東京四谷東信濃町 二〇屋〇式〇社
現在でも販売されている、バイクマニアなら一度は乗りたいインディアン・モーターサイクル社のオートバイ広告だ。なぜか三つ揃えのスーツを着たヘンリー・フォンダ似の男が、プリンセスサイドカー(?)へ厚化粧した竹内結子みたいな女性を乗せて走っている。いや、女性に身体を左へ傾けさせ、カーブを疾走しているように見せかけて、実は停車して撮影しているのだろう。
大正末の当時、米国インディアン社のバイクを買えるのは、よほどの高給とりかおカネ持ちに限られており、庶民にはまったく手がとどかなかった。クルマの普及はかなり早かったが、バイクはなかなか一般家庭には普及せず、各地でバイクレースを開催するなど、イベントを通じたプロモーションが盛んに実施されていた。日本におけるインディアンを輸入していた代理店の社名は、「二輪屋株式会社」だろう。
日本人にシツクリ合つた/趣味の雑誌/『講談倶楽部』
円満平和の家庭に/必ずこの雑誌あり
東京本郷 講〇社
怒ると八重歯が伸びそうでちょっと怖い、いまの東京都知事(2018年現在)の若いころのような顔をしたモデルが、派手な縞柄の普段着姿でニッコリする、家庭の主婦をターゲットにした「講談倶楽部」の広告だ。当時のモダンな文化住宅で流行った、縞柄の壁紙やテーブルクロスが写っているが、縞柄の着物に縞の壁紙がとても野暮ったくて、現代のスタイリストやカメラマンなら絶対にコーディネートしない組み合わせだろう。誌名に答えがのぞいているが、もちろん社名は「講談社」だ。
針の運びを止めて
〇〇ちやん八重歯で/プツリと糸を………/うつとりと聴き惚れる
最高級蓄音器/ライオン三号 ¥70,00
レコードは/新進の紹介 曲種の最新/技術の優秀 実演其儘の
ヒコーキレコード/九月新音譜発売/お買上げは最寄の蓄音器店へ
東京銀座 合〇蓄〇器〇式〇社
できるだけモダンな広告をつくろうと、各社が表現に工夫を凝らしている中で、なんだか江戸時代にもどってしまったのがレコードと蓄音器の広告だ。まるで芸妓のような女性が、裁縫をしながら歯で糸を切ろうとしているその刹那、レコードに聴き入って動きを止めた瞬間……というシチュエーションらしい。なぜ、このような表現なのかというと、当時のリスナーにもっとも売れていたのが洋楽でも歌謡曲でもなく、三味Click!をバックにした小唄や長唄、××節などお座敷唄のレコード類だったからだ。
当時は、オーディオ装置Click!とディスクの販売がいまだ分離しておらず、レコードが蓄音器屋で売られていたのがわかる。ちなみに大正末の70円は、今日の給与換算指標に照らすと18万円ほどになる。クイズの社名は、「合同蓄音器株式会社」だろう。
復方チレオイン錠/若さ美しさの精
東京市四谷見付外 フ〇―製〇合〇会〇
このクイズ広告シリーズでは、もっとも短いキャッチコピーだ。それほど、大正末には有名な“若返り”の薬剤だったらしい。「復方」と書かれているので漢方薬っぽいが、牛の甲状腺からつくる「特殊製剤」だったようだ。効能も多岐にわたり老耄症・早発性老衰症や神経衰弱・ヒステリー、性欲衰弱、生殖器発育・官能不全、乳汁分泌不全、血圧亢進症、動脈硬化、貧血性諸症、鬱血症、喘息、新陳代謝機能障害……と、いわゆる「血の道」の病気と呼ばれる症状に効果があったらしい。
南風洋子風のモダン髪の女性が、もの憂げにジトッと湿った眼差しをあらぬ方角へ向けているのが、なんとなく思わせぶりで艶っぽい広告なのだ。今日のキャッチフレーズでいえば、「強い男が好き!/みなぎる活力」とか「男の自信がV字回復」とか、「すごいわ……/男の自信を取りもどせ!」といった広告と同類の、大正時代のアンチエイジング薬または精力剤だったのだろう。社名は、「フロー製薬合資会社」だと思われる。
破天荒廉価提供/ラーヂオートバイ/世界唯一/四バルブ/四スピード
廿五年来/盛名斯界に冠たる/ラージ自転車 (イラスト+ロゴマーク)
東京銀座 日〇商〇 支店/大阪、名古屋、福岡、京城、台北
6社の広告の中では、イラストやロゴマークを大きくあしらった広告らしい広告だろう。当時、バイクは一般家庭への浸透が遅れていたが、自転車は大正後半から爆発的に普及しだしている。「四バルブ/四スピード」とは、4気筒でギアが4変速ということだ。今日の大型バイク(リターン式)では7変速が一般的だが、当時は4変速が最先端の技術だった。自転車は、今日の仕様やデザインとほとんど変わらず(ただし変速ギアは未装備)、女性でも手軽に乗れるよう軽量化が進められている。
この広告が秀逸なのは、イラストでターゲットと製品の用途・事例を具体的に描き分けているところだ。自転車は、工具をかついで現場に通う職人、通学の女学生、郵便配達員、クラブを背負って趣味のゴルフに出かける休日のサラリーマンが描かれている。また、バイクはサイドカーに恋人を乗せたデート中とみられる男と、サイドカーへ子供を乗せた主婦が描かれ、具体的な利用イメージが顧客へストレートに伝わるよう表現されている。クイズの社名は、ロゴマークの中に「NICHIBEI SHOTEN LTD」と答えが出てしまっているが、「日米商店」が正解だ。
さて、佐伯祐三Click!と米子夫人Click!は、1926年(大正15)9月1日の新聞広告を、おそらくウキウキ気分で眺めていたにちがいない。なぜなら、滞欧作が夫婦そろって二科展に入選(8月末に内定)しており、この日は東京朝日新聞の記者やカメラマンが来訪して、アトリエで記者会見Click!が予定されていたからだ。そして、翌9月2日の同紙には一家の写真とともに、「夫婦一緒に入選/佐伯祐三氏夫妻の喜び」の見出しで報じられている。
◆写真上:1933年(昭和8)に飛行機から撮影された、雑司ヶ谷道Click!添いの下落合10番地にあった甲斐産商店「大黒葡萄酒」の壜詰工場。画面下の細長い屋根群が工場で、目白貨物駅に着いた樽詰めワインをここでボトルに詰めて東京市場へ出荷していた。左上に見えている緑の斜面は、学習院昭和寮Click!(現・日立目白クラブClick!)。
◆写真中:1926年(大正15)9月1日発行の、東京朝日新聞に掲載されたクイズ広告。
◆写真下:1926年(大正15)9月2日発行の、東京朝日新聞に掲載された佐伯夫妻の二科展入選(佐伯祐三×18点、佐伯米子×2点)を伝える記事。