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宮本恒平アトリエを拝見する。
下落合4丁目1712番地(現・中落合4丁目)に建っていた第二文化村Click!の宮本恒平Click!邸は、1970年代末から散歩がてら何度か目にしている。だが、学生だったわたしの印象に残っているのは、門を入った玄関の左手に巨大なヒマラヤスギが繁る宮本邸の母家のほうであって、庭の南側に別棟として建っていたアトリエの姿ではない。...
View Article下落合の事件簿「さまざま」編。
1890年(明治23)1月に新島襄が大磯Click!で死去すると、妻の新島八重は夫の終焉地となった大磯の風光が気に入ったのか、大磯町神明前906番地外に土地を購入している。避寒・避暑Click!の別荘にするつもりだったのか、それとも歳をとってからの隠居邸でも建てる計画だったのかは不明だが、国道1号線へ通じる「佐土原さんの坂」上から眺める相模湾の風情に惹かれたのだろう。...
View Article幻の「目白工学校」のゆくえ。
下落合の目白通り沿いには、大正末に「目白工学校」という理系の専門学校が存在したらしい。「らしい」のまま断定的に書けないのは、目白工学校の実態がまったく把握できないからだ。いくら地元の資料や地図類を参照しても、「目白工学校」というネームは発見できない。同校の電話番号は「牛込一五一八番」なのだが、この電話は下落合437番地に開校していた目白中学校Click!の番号とまったく同一なのだ。...
View Article松本竣介の「世界」とコンフォーミズム。
この11月24日で、拙ブログは15年目を迎えました。これまで、のべ1,623万人の皆さまにお読みいただき、またさまざな方々より貴重な情報や資料をお寄せいただき、ほんとうにありがとうございました。改めて、心よりお礼申し上げます。 ★...
View Article誰も知らない鎌倉海岸。
わたしが少し前に書いた、「ほとんど人が歩いていない鎌倉」Click!を読まれた方から、もっと古くてめずらしい写真があるよ……と、明治初期からのめずらしい写真類が掲載された、非売品の貴重な地元資料をお送りいただいた。1983年(昭和58)に、かまくら春秋社から鎌倉市内のみで出版され、古くからの鎌倉人とゆかりの関係者のみに配られたとみられる『鎌倉の海』だ。...
View Articleブートレグより正規盤がダメなアルバム。
きょうの記事は、落合地域とその周辺の地域あるいは江戸東京地方とはまったく関係のない音楽がテーマなので、興味のない方はさっさと読みとばしていただければと思う。 ★...
View Article小島善太郎の八王子アトリエを拝見する。
1930年協会Click!が1930年(昭和5)を迎えたとき、協会内部はガタガタの状態だった。佐伯祐三Click!はとうに死去し、前田寛治Click!は不治の病で倒れて入院をつづけ、二科に回帰しようとする里見勝蔵Click!と古賀春江、児島善三郎は実質的に脱会し、古くからのメンバーは小島善太郎Click!と林武Click!しかいなくなってしまった。...
View Article雑司ヶ谷の交番へ駈けこんだ娼妓たち。
1923年(大正12)9月1日に発生した関東大震災Click!では、大火災に追われて東京市街地から逃げてきた避難民で、周辺の郊外地域はドーナツ状にあふれ返った。こちらでも、目白通りを西へ西へと向かう避難民たちの様子を、目白駅周辺で結成された自警団Click!のエピソードとともにご紹介している。飯田橋や江戸川橋など街道の分岐点から、目白通りは罹災した人々の避難ルートの筋道になっていたのだろう。...
View Article三昧と「弥勒浄土」思想が重なる古墳域。
東京メトロ東西線を落合駅で下り、上落合から上高田を抜ける早稲田通り(旧・昭和通り)を西へ200mほど歩くと、ほどなく寺町が出現する。もっとも東寄りにある正見寺は以前、大江戸の稀代のアイドル・笠森お仙Click!の墓所として紹介していた。...
View Article大正期から流行ったフロート波乗り。
本年も「落合道人」ブログをお読みいただき、ありがとうございました。当ページが、2018年最後の記事になります。来年も、どうぞよろしくお願いいたします。 ★...
View Article「だらだら長者」埋蔵金の後日譚。
新年、あけましておめでとうございます。本年も「落合道人」サイトを、どうぞよろしくお願いいたします。さて、お正月は、おめでたい新宿区に眠る「お宝」物語から。 ★...
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