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Channel: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
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寄宿舎制度の改革で生まれた学習院昭和寮。

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第四寮.JPG
 学習院Click!は、1923年(大正12)になると寄宿舎制度の大幅な改革を行なっている。従来は、学習院の広い敷地内に建設された6棟の寮(1909年竣工)へ、全学生を収容する全寮制のシステムを導入していた。久留正道が設計した寮棟は、1部屋に4人の学生を収容でき1階が勉強室に、2階が寝室に使用されていた。
 学習院を全寮制にしたのは、学生に学習から日常生活まで、軍隊と同様の集団的規律を重視した院長・乃木希典Click!の意向だったといわれている。だが、大正期に入ると学生の家庭事情や社会環境の変化にともない、乃木式Click!の全寮制ではなく希望入寮制への要望が高まってきた。そこで、学習院は1923年(大正12)に寄宿舎制度の大幅な改革を実施し、希望する学生のみが入寮できる仕組みに変更している。
 また、入寮する生徒や学生を中等科と高等科に分け、12歳から18歳までの中等科生徒は、学習院キャンパス内にある既存の寮6棟へ、18歳から21歳までの大学進学をひかえた高等科の学生は、学外へ新たな「青年寮」を建設して入寮希望者のみを収容することにした。学習院では、下落合の近衛町Click!にあった帝室林野局の土地2,730坪(近衛町42・43号敷地Click!)を買収し、新寮建設のプロジェクトを立ち上げて、1926年(昭和元)12月に新寮建設の着工をしている。
 こうして新たに建設されたのが、学外では初となる1928年(昭和3)3月末に竣工した、下落合406番地(のち下落合1丁目406番地/現・下落合2丁目)の学習院昭和寮Click!(現・日立目白クラブClick!)だ。施工は安藤組が行ない、設計はかつては内匠寮工務部建築課に勤務していた権藤要吉といわれていたが、今世紀に入ってからの最新研究では、同工務部の技師・森泰治の仕事だと推定(『皇室建築』/2006年)されている。
 当初は「青年寮」と呼ばれた新寮の制度は、イギリスのイートン校をモデルにしたといわれているが、入寮する学生全員には個別の部屋が与えられ、寮の運営に関する学生の自治と自立的な生活が求められた。また、同時に華族を中心とした上流階級の、社交や礼儀を学ぶことが重要視されていたという。建物のデザインは、オレンジのスペイン瓦にスタッコ仕上げの外壁、上部がアーチ状の窓に三角の屋根がついた煙突と、米国におけるスパニッシュ様式の建築の意匠を採用したものだ。
 学習院昭和寮Click!本館Click!については、これまで内部の様子Click!エピソードClick!、あるいは多種多様な物語Click!を取りあげているが、今回は宮内庁の宮内公文書館に残された「工事仕様書」、あるいは添付の設計図(青焼き)をベースに書いてみたい。おもに、日立目白クラブClick!時代になってからも出入りや写真撮影が許されなかった、南側の寮棟についてご紹介したい。貴重な資料をお送りいただいたのは、同寮に植える樹木注文書の記事でもお世話になった、アーキビストの筒井弥生様Click!だ。
 本館の南側に建っていた寮4棟は、本館と同じ地下1階と地上2階の都合3階建ての建築だが、たとえば東寄りにあった第一寮と第二寮は斜面に建設されているため、地下1階には寮室の窓がしつらえてあり、外から見ると地上3階建てに見えた。また、寮棟は同一の規格ではなく、すべて異なる設計デザインで建設されているため、第一寮から第四寮まで各寮ごとに外観が異なっていた。共通点といえば、1階および南を向いた地下1階の窓が角窓、2階が上部にアーチのついた窓、階段部分が縦長の細いアーチ窓、そして屋上の十字模様がうがたれた胸壁(パラペット)ぐらいだろうか。
宮内公文書館資料01.JPEG 宮内公文書館資料02.JPEG
学習院昭和寮(電線).JPEG
学習院昭和寮(ガス管).JPEG
学習院昭和寮(本館地下).JPEG
 筒井様からお送りいただいた、同寮の平面図(電気・ガスの引きこみ図など)を参照すると、たとえば傾斜地に建てられ地下1階が地上に露出していた第一寮には、地下に寮室が3部屋と広間、物置きなどが設けられており、また第二寮の地下1階には、寮室が3部屋に暖房・温水用の汽罐室(ボイラー室)が設置されていた。
 各寮の1階は近似しており、玄関を入ると右手に物置きがあり、さらに右奥には洗面所と便所が設置されていた。また、玄関の左手には雑用を引き受ける小使室が置かれている。フロアの中央には広間があり、その周囲には5~6室の寮室に入るドアが面していた。2階の寮室や広間も、1階とほぼ同一の造りをしていたが、2階には5~6室の寮室と広間のほか、学生たちが集える談話室や浴室が設置されていた。
 寮舎の建物は平均336坪の広さで、第一寮が14室、第二寮・三寮・四寮が各12室の計50室、つまり50人の学生たちを収容できるように設計されていた。寮生Click!の部屋は、広さが14m2ほどの洋間ワンルームで、学習室と寝室を兼ねていた。各寮室の家具調度は、病院のようにカーテンで仕切れるベッドをはじめ、物入れ、備えつけの本棚、机、レザー張りのイスなどが用意されており、学生は身のまわりの荷物だけそろえれば、すぐに入寮することができた。
 この寮室に置かれたベッドのカーテンについて、宮内公文書館の資料では布地の見本がついた注文書が保存されている。宮内公文書に保存された、「内匠寮昭和三年工事録」から当該部分を引用してみよう。
第二寮.JPG
第三寮.JPG
学習院昭和寮(本館階段).JPG
学習院昭和寮本館応接室.JPG
学習院昭和寮本館会議室.JPG
学習院昭和寮(寮棟).JPEG
学習院昭和寮(舎監棟).JPEG
  
 目白学習院青年寮各室寝台脇仕切幕新調取付註文書
 一、仕切幕 高サ曲尺六尺九寸五分/巾曲尺八尺押入竪框ヨリ窓迄 二十二個所
 一、同    〃 / 〃 九尺ヨリ九尺二寸 二十八個所
 現場熟覧見本裂参照
 右仕様
 一、竣功日限  三月末日
 一、請負  一式
 一、裂地  見本通リ藍色梨地織綿鈍子 (以下略)
  
 「二十二個所」と「二十八個所」で、全50寮室のベッドまわりが藍色の仕切幕(カーテン)で統一されていたのがわかる。また、同資料にはレザー張りイスのデザイン図面も収録されており、これも家具専門店に発注されていたのだろう。
 本館の図面に加え、本館の右手(西側)に建設された舎監棟平面図も残されている。1階の玄関を入ると、左手が応接室になっており、右手の階段下には便所と洗面所が設置されている。廊下をまっすぐ奥に進むと、左手が広い居間とテラス、突き当たりが台所となり、居間つづきで建物の南西角が老人室となっている。
 2階に上がると、書斎と寝室が2部屋(おそらく子どもがいればどちらかが子ども部屋)が設置されている。当時の舎監は、寮と同じ敷地内に一家で暮らすケースが多かったため、建物内の様子は一般の住宅と変わらない。舎監棟は、本館や寮棟と同じくRC造りで、建坪158坪の2階建てスパニッシュ様式の西洋館だ。ただし、内部の部屋は玄関のエントランスと応接室のみが洋風で、あとは日本間という構成だった。
 学習院昭和寮Click!は、食堂や社交室、図書室(読書室)、売店、談話室、浴場などを備えた本館に加え、第一寮から第四寮までゆとりのある贅沢な寮棟から構成されていた。4つの寮棟の設計をあえて同一にしなかったのは、それぞれ入寮する学生たちの自治や自立、特色など独自性を重視したものだろう。同寮は、イギリスの寄宿舎制度にならったものだが、寮棟の外観は大正後半から日本で流行していた、米国のスパニッシュ住宅の様式を取り入れ、随所にアールデコ調のデザインを採用している。
宮内公文書館資料03.JPEG 宮内公文書館資料04.JPEG
学習院昭和寮(寮室イス).JPEG
学習院昭和寮(テニスコート).JPEG
学習院昭和寮(鉄網塀).JPEG
 同資料には、第三寮のさらに西側にあった2面のテニスコートの平面図や、南側の崖地の淵に設置された長さ36mにわたる「鉄網塀」=金網柵の設計図までが収録されている。第一寮のすぐ南側までは、昭和寮を囲むコンクリート塀が設置されていたが、第二寮から西側は武蔵野の原生樹林におおわれた急傾斜のバッケ(崖地)Click!がむき出しのままであり、やんちゃな寮生が転がり落ちるのを懸念したものだろう。「鉄網塀」はすべてペンキで重ね塗りされていたようなのが、何色のペンキだったかまでは記録されていない。

◆写真上:ヒマラヤスギやスダジイ、ケヤキなどに囲まれた学習院昭和寮の第四寮。
◆写真中上は、宮内公文書館に保存された同寮工事仕様書の一部。は、上から同寮の電力線・電燈線Click!引きこみ図、ガス管引きこみ図、本館地下1階の平面図。宮内公文書館の資料類の写真は、いずれも筒井弥生様の提供による。
◆写真中下は、上から学習院昭和寮の第二寮と第三寮。は、上から同寮本館の階段と2階の応接室と会議室。は、上から同寮の平面図と舎監棟の平面図。
◆写真下は、同寮の寝台脇仕切幕(カーテン)の注文書と見本。は、同寮で使用されたレザー張りイスのデザイン。は、テニスコート平面図と鉄網塀の仕様図。北が下のテニスコート図面で、左に描かれている建物はいちばん西側に位置する第三寮だが、青焼きではテニスコートの面積が赤ペンで上下に修正されている。

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