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Channel: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
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下落合に住んだころの淡谷のり子。

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目白橋欄干.JPG
 最近、検索で過去の記事がなかなか見つからないというお声をいただいた。このブログのサイドカラムには、SSブログ(旧So-net)が設置した検索窓が提供されているけれど、キーワードの複合検索ができないし推論エンジンも搭載されていない単純でオバカなテキスト検索なので、ほとんど検索の役に立たない。過去の記事を検索する場合は、Googleの検索エンジンがもっとも優れていると感じる。(確かYahoo!も自社開発をあきらめ、Googleの検索エンジンを採用していたかと思う)
 Googleの検索窓にまず「落合道人」「落合学」と入力し、つづけてたとえば「淡谷のり子」とか「田口省吾」、「東洋音楽学校」「下落合」「長崎町」「目白」など思いついた登場人物やキーワードを入力すると、お探しの記事がピンポイントでひっかかってくると思う。わたしも使っていないが、このSSブログの検索エンジンは20年以上前の仕様で、記事で使用した特徴的なキーワードをよほど絞りこんで記憶してない限り、過去記事の検索にはまったくなんの役にも立たない。
 さて、大正末から昭和初期にかけて住んでいた、淡谷のり子Click!の上落合および下落合の住所が、相変わらず不明のままだ。このようなことを繰り返し書いていれば、そのうち「淡谷のり子なら家の裏に住んでたって、お祖母ちゃんがいってたわ」とか、「うちの隣りに淡谷のり子の家族が住んでて、東洋音楽学校に通ってたんだって」とかの情報がもたらされるのではないかと、淡い期待を抱いているのだけれど、古い話なのでもはや証言者もいなくなってしまったのだろうか。
 淡谷のり子Click!が、落合地域に住んでいたころの出来事を書いた自伝が、1957年(昭和32)に出版されている。春陽堂書店から出版された淡谷のり子『酒・うた・男』がそれだが、ちょうど田口省吾Click!の専属モデルをつとめていたころの自身の想いがつづられている。吉武輝子が1989年(昭和64)に出版した『ブルースの女王 淡谷のり子』(文藝春秋)の中で、「毎日、のり子は昼食抜きですごしていたのである。家賃が払えず、住居も恵比須(ママ:恵比寿)、上落合、下落合と転々としていた」と書いていた時代だ。関東大震災Click!の直前の住まいが恵比寿で、震災直後から昭和初期まで上落合と下落合に住んでいたとみられる。吉武輝子が落合地域の住所を書きとめていないのは、当時の手紙や記録類が5月25日夜半の第2次山手空襲Click!で全焼してしまい、淡谷自身もすでに明確な記憶がなかったからだとみられる。
 淡谷のり子『酒・うち・女』から、落合時代と思われる生活の様子を引用してみよう。ちなみに、「サメハダ」や「牛」とはモデル仲間だった女性たちのあだ名だ。
  
 だが、研究室で、私と同じように貧乏な画描き達が、一生懸命にモデルにむかって画を描いている時は、それでも楽しくなれた。大勢の人達にとりまかれて、モデル台に立っていれば、サメハダはサメハダなりに、牛は牛なりに、一個のオブジェとして、一つの芸術的な雰囲気をかもし出す。/この湯島の研究所の近くにあった須田町食堂に、貧乏な画描きと貧乏なモデル達とで、仲よく連れ立って、ご飯を食べに行った。/ホワイト・ライスに、タクアン二切れ、福神漬をつけたのを、皆おいしそうに食べていた。たまには、一皿十五銭のカキフライを誰かが、ご馳走して、その一皿を四、五人でつつき合う。ホワイト・ライスはただの五銭だった。その五銭のホワイト・ライスにただのソースをかけて食べている画描きがいた。
  
淡谷のり子1929.jpg 淡谷のり子1930頃.jpg
淡谷のり子「酒・うた・男」1957.jpg 淡谷のり子「酒・うた・男」内扉1957.jpg
 淡谷のり子は、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)の久保田稲子教授に学びながら、宮崎モデル紹介所Click!を通じて絵画モデルをはじめたころの情景だ。
 上野駅前の須田町食堂Click!(現・聚楽)が登場しているが、同店にはほんの数年前まで本郷区菊坂町75番地に住んでいた宮沢賢治Click!が通ってきていたはずだ。また、「湯島の研究所」とは本郷区湯島4丁目20番地に沼沢忠雄が建てた「湯島自由画室」改め、のちに淡谷のり子がモデルになった前田寛治Click!も通ってきていた「洋画自由研究所」Click!のことではないだろうか。
 長崎町1832番地(現・目白5丁目)にアトリエをかまえていた、田口省吾邸を初めて訪れたときの様子も書いている。つづけて、同書より引用してみよう。
  
 私は、その門構えの家へ行った。門の中にさるすべりの花が咲いていた。二科の会員であった田口省吾の家だった。/会って見ると、これまでにもちょいちょい、研究所にも来たことのある人だった。/「君の、その着物いいね」/私は白と黒の、単純な立て縞の着物を着ていた。実は売りつくして、それ一枚より残していなかったのだ。それが私に一番気に入った着物だったので、私はほめられて嬉しかった。/田口先生は、コンテを動かしてスケッチをとりながら、私にいろいろ話しかけた。/「明日も来てくれるね」/私は「ええ」といってしまった。いってしまってから、実は困ったなと思った。明日は大切なレッスンのある日なのだ。/モデルをやり出してから、私は仕事の都合で、ちょいちょい学校を休んだ。久保田先生はそれを気にして、なるべく休まないようにしなさいと注意したが、私の貧乏を知っていたので、深くもいわなかった。/私はそのあくる日も、学校を休んで、田口先生のところへ行った。
  
 こうして、淡谷のり子はモデル代と東洋音楽学校の学費を出してもらう条件で、田口省吾の専属モデルになる。そのあたりの経緯は、すでに記事でご紹介したとおりだ。おそらく、震災後にモデルをはじめたころから田口省吾の専属モデルを辞めるころまで、彼女は母と失明の怖れがあった眼病を患う妹を抱えながら、上落合と下落合のどこかで暮らしていたと思われる。
淡谷のり子.jpg
 淡谷のり子は、もともと少女時代には文学をめざしていただけあって、文章表現がとてもうまい。同書には、古い時代の横浜風景を描写した一文が掲載されているが、1960年代の横浜にも、このような雰囲気がいまだに色濃く残っていた。この文章を読むと、子どものころに見た横浜が瞬時によみがえり、生きいきとした情景が浮かんでくるのは彼女の筆致のうまさだろう。
  
 横浜という街は、ムロン外国ではないが、それとて純粋に日本の街とも思えない気分が漂っている。いろいろな国の人人が歩いているし、ショーウインドーをのぞいても、日本の持つ色や形とは違った品物が、並んでいる。野菜や果物やお菓子でも、花屋の店先の草花でも、何か異国めいた好みが感じられる。/そうかといって、敗戦後、にわかに方方に出来たペンキ塗りの、アメリカスタイルの、基地の町町に見るような、ケバケバしさや、俗っぽさではない。軒先の低い店が古めかしく並んでいるのも、褲子(クンツ)をはいたシナの(中国というには似つかわしくない)女の人の、立ち話をしている後姿も、しっとりと街の生活にしみ込んでいる。この街には異国の人への反撥がない。古い歴史が人人の身体の中に素直にとけこんで、メリケン町の、南京町の伝統が、おだやかに育って来た情趣がある。子供の頃、西洋人の絵のついた、ツヤツヤした紙の箱の蓋を、そっとあけてかいだ舶来の香が、この街の生活のいぶきに、たてこめている。
  
 「♪窓を開ければ港が見える~ メリケン波止場の灯が見える~」(作詞:服部良一『別れのブルース』)と、淡谷のり子の歌声がすぐにも聴こえてきそうだ。
淡谷のり子1936頃.jpg 淡谷のり子1960頃.jpg
淡谷のり子「別れのブルース」1960.jpg
メリケン波止場.JPG
 横浜から、淡谷のり子が感じたような情趣が急速に薄れていったのは、1980年代のころだと感じている。昔の横浜らしい風情が次々と壊されては消えていき、東京の“妹”のような街になってしまった。いまや日本最大の政令都市となった横浜は、東京とたいして変わりばえのしない街づくりを進めている。界隈のあちこちに店開きしていた、横浜ならではのJAZZ喫茶Click!やライブスポットもいまやほとんど姿を消して、よほど特徴的な街角にでも立たない限り、まるで東京の街中を散歩しているような気分になる。

◆写真上:音楽学校へ通うため、淡谷のり子が何度も渡ったとみられる目白橋の旧欄干。
◆写真中上は、落合地域に住んでいたころにもっとも近いポートレートで、1929年(昭和4)撮影()と1930年(昭和5)ごろ撮影()の淡谷のり子。は、1957年(昭和32)に出版された淡谷のり子『酒・うた・男』(春陽堂)の表紙()と中扉()で、装丁を担当しているのは佐伯祐三Click!の友人のひとり佐野繁次郎Click!
◆写真中下:コロムビア時代の、昭和10年代に撮影された淡谷のり子のブロマイド。
◆写真下は、『別れのブルース』がヒットした1936年(昭和11)ごろ撮影()と1960年(昭和35)ごろ撮影()の淡谷のり子。は、1960年(昭和35)にコロムビアから再発された『別れのブルース』ジャケット(部分)。は、『別れのブルース』の舞台となった大桟橋のある「メリケン波止場」界隈だが桜木町の海側はいまや別の街に変貌している。大晦日のライブ帰り、よく年越しのボー(汽笛)を聞いていた山下公園が右手前に見える。

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