最近はほとんど使わなくなってしまったけれど、その昔、わたしは万年筆でよく文章を書いていた。だから、道具としてのペンには書きやすさばかりでなく、長年使っていても壊れない耐久性を重視して選んでいた。
メインに使用していたのは、プラチナから1978年(昭和53)に発売された#3776初代だ。当時、学生だったわたしは、発売から少したって大学生協で購入し、学校を出る際はこれで卒論を書いた憶えがある。握りやすく滑らないよう、ボディには独特なヒダが刻まれていて、漆黒の初代#3776は「ギャザード」と呼ばれていた。以後、今日までずっとプラチナ#3776を愛用してきた。3776の数字は、もちろん富士山の標高値だ。
それまでは、中学へ入学したころに、親父が海外旅行の土産として買ってきてくれた、パーカーの#75(スターリングシルバー)を使っていた。このパーカー万年筆は、それほどペン先を使いこまなくても抜群に書きやすく、けっこう筆圧が高いわたしには使い勝手もよかった。その合い間には、パイロット万年筆やスワン万年筆などをプレゼントでもらったり、賞品で当てたりしたけれど、パーカーの滑らかな書き味にはほど遠かった。だから、他の万年筆はペン先がすり減ったり、ゆがんでダメになり惜しげもなく棄てても、パーカーだけは大切にしてきた。
でも、欧米のローマ字を崩した横文字ではなく、日本語の縦書きがいけないのか、ペン先に妙なクセがついたように思えてきた。万年筆の軸がスターリングシルバーなので、不精なわたしは満足に手入れをしないせいか、手垢で黒ずみや染みのようなものがたくさん付着し、見た目もかなり汚らしいので、これ以上書きやすさを損じないよう……という名目で現役から引退させ、できるだけ温存することにした。その代わりに手に入れたのが、先述したプラチナ#3776初代だった。
しばらく、数年の間は、手になじんだパーカー#75を「社長」と呼び、新たに手に入れたプラチナ#3776を「部長」のサブとして使っていたが、パーカー社長を楽隠居にして「会長」に奉り上げ、プラチナ部長を「社長」に昇格してメインに使うようになった。こうして、プラチナ社長は40年近い勤続年数を働きつづけてきた。途中で、もしプラチナ社長が倒れて入院したときのことを考え、1990年(平成2)ごろ予備にペリカンクラシックM205(スケルトン)を購入し、プラチナ社長の下で「秘書」として働かせることにした。うっかりもののわたしは、置き忘れたりなくしたりするので、外出するときはプラチナ社長の行方不明が心配で、ペリカン秘書をお供に連れていった。
ところが先日、プラチナ社長が急逝してしまったのだ。落としたりぶつけたりして、グリップの部分にひび割れができていたが、ひびが拡大して割れプラスチックがくぼんでしまい、それが直接の原因かどうかは不明なものの、インクを入れておくと大量に漏れるようになってしまった。これでは、もう使いものにならない。修理に出すことも考えたけれど、おそらく新しい万年筆を買ったほうが安く済みそうなほどの、瀕死の重傷だった。しかたがないのでプラチナ社長をおシャカにして弔い、楽隠居させていたパーカー会長を、再び現役の「社長」にもどすことにした。
ただし、ペリカン秘書を雇用したころから、世の中、ほとんど万年筆を使わない時代を迎えつつあった。1980年代も半ばになると、仕事の原稿や書類づくりはほとんどPCのワープロソフトで済ませるようになっていたし、複写用紙のフォーム類ではボールペンしか使えない。万年筆の出番は、せいぜい手紙やハガキを書いたり、ボールペンで書けばいいのに仕事の特別な書類や原稿にのみ使うだけになっていった。現在では、手紙でさえ時間がないとWordでちゃっちゃか入力し、印刷した最下段に万年筆で横書きのサインを入れるだけのことが多い。つまり、現役復帰したパーカー社長もペリカン秘書も、昔ほど忙しくなくなってかなりヒマなのだ。
エジプトで生まれヨーロッパで育った万年筆が、ペン先を傷めたり壊したりする要因として、もっとも挙げられていたのが、日本語の縦書き文化だろうか。万年筆は、もともとローマ字を筆記体で左から右へ流れるように書くのに、最適な筆記用具として発達してきた。だから、日本の便箋や原稿用紙のように上から下へ一字一字区切って、さまざまな角度をもった文字の縦書きには適さず、ペン先を酷使するため傷めやすいというのが、もっともな理屈なのだろう。それとも、日本産の万年筆は縦書きに対応し、欧米とは異なる特別なペン先を開発していたものだろうか。
万年筆で縦書きをして、店員に怒られたエピソードを読んだ記憶があるので、本棚をあちこち探してみた。パリの文房具店で、万年筆の試し書きをしながら日本語を縦に書き、店員に怒られていたのは向田邦子Click!だ。1980年(昭和55)に文芸春秋より出版された、向田邦子『無名仮名人名簿』から引用してみよう。
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試し書きをしてもよいかとたずねると、どうぞどうぞと、店名の入った便箋を差し出した。/私は名前を書きかけ、あわてて消した。稀代の悪筆なので、日本の恥になってはと恐れたのである。/「今頃は半七さん」/私は大きな字でこう書いた。少し硬いが、書き味は悪くない。ところが、金髪碧眼中年美女は、「ノン」/優雅な手つきで私の手を止めるようにする。/試し書きにしては、荒っぽく大きく書き過ぎたのかと思い、今度は小さ目の字で、/「どこにどうしておじゃろうやら」/と続け、ことのついでに、/「てんてれつくてれつくてん」/と書きかけたら、金髪碧眼は、もっとおっかない顔で、「ノン! ノン!」/と万年筆を取り上げてしまった。/片言の英語でわけをたずね、判ったのだが、縦書きがいけなかったのである。「あなたが必ず買上げてくれるのならかまわない。しかし、ほかの人は横に書くのです」(中略) 彼女の白い指が、私から取り上げた万年筆で、横書きならかまわないと、サインの実例を示している。それを見ていたら、東と西の文化の違いがよく判った。
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店員は縦書きにする日本語を見て、あわててペン先の傷みを気にしたのだろう。それにしても、試し書きをする文字が、芝居のセリフだったり馬鹿囃子(ばかっぱやし)なのが、(城)下町育ちにあこがれる乃手Click!女子の向田邦子らしい。
わたしは手紙にしろハガキにしろ、最近は縦書きにすることがあまりない。便箋も横書きのものが増えたし、ハガキもつい横書きで書いてしまう。特に理由もなく、無意識なのかもしれないけれど、ようやく出番ができ、このときとばかり万年筆を使うと、やはり縦書きよりも横書きのほうがスムーズな書き味に感じるせいだろうか。
日本画家で書家でもあった祖父は、わたしに手紙をくれるときには、必ず便箋に筆でしたためてきた。子どものわたしには、あまりに達筆すぎてまったく読めないので、親に代読してもらっていた。やはり、縦書きの日本語には、万年筆ではなく筆がいちばん適した筆記用具なのだろう。もっとも、人前で恥をかくほど悪筆なわたしは、絵筆ならともかく、書の筆など習字の時間以外にもったことはない。
それにしても、パーカー社長は40年以上も働きづめで、どこか体力が衰えて文字にも力がない。キャップもゆるゆるでバーカーになってきているし、やっぱり楽隠居のほうが性に合っているようだ。かといって、ペリカン秘書は書き味がイマイチだし、そもそも引退した社長の座を秘書が継ぐなど、世の中では聞いたこともない。ここは、できるだけペン先を傷めないよう横書きに徹し、なかば楽隠居のバーカー社長、いやパーカー社長を騙しだまし使うしかなさそうだ。そういえば、縦書きの文書や表示が日本から減っているのを嘆き、自刃した作家にならい「縦の会」を結成したのも、向田邦子Click!だった。
◆写真上:長いものは中学生時代から使いつづけている、愛用のペン類。
◆写真中上:先ごろお亡くなりになった、1978年生まれの故プラチナ社長の#3776初代。すでにおシャカで廃棄したので、写真はプラチナ万年筆(株)のサイトから。
◆写真中下:上は、中学生のとき親父から土産でもらい代取に返り咲いたパーカー社長の#75 Sterling silver。かなり薄汚れガタガタでくたびれているが、いまだ現役だ。下は、つい欲しくなってしまう寄木細工万年筆だがパーカー社長がいじけると困るし、そもそも万年筆を使うシチュエーションが減りつづけているので我慢。
◆写真下:上は、愛用のペン類とインク。下は、ペリカン秘書のClassic M205。