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曾宮一念アトリエの絵画教室。

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 曾宮一念Click!が、下落合623番地のアトリエで二度にわたる「どんたくの会」を開き、地元在住の人々に絵画を教えていたのはよく知られた話だ。当時「どんたくの会」に通い、曾宮一念に絵を習っていた方々の証言も残っている。
 画業だけでは生活が苦しいため、下落合で絵画教室を開いていた画家は多い。笠原吉太郎アトリエClick!大久保作次郎アトリエClick!海洲正太郎アトリエClick!などでも絵画教室が開かれており、笠原アトリエには下落合1147番地の外山卯三郎Click!と結婚する一二三夫人Click!が、海洲アトリエには下落合667番地の吉田博Click!のご子孫が通っている。
 「どんたくの会」は、曾宮一念が柏木128番地Click!から下落合に転居して早々、1921年(大正10)に鶴田吾郎Click!とともにはじめた第1次「どんたくの会」と、1931年(昭和6)に鶴田と仲たがいしたあと曾宮がひとりではじめた第2次「どんたくの会」とがある。証言が多いのは、1931年(昭和6)以降の二度めにはじめた画塾のほうだ。また、曾宮一念は絵画の個別指導も行っていたようで、弟子には秋艸堂Click!会津八一Click!などがいる。会津八一は、曾宮が早稲田中学校Click!時代の英語教師だったので、絵画のレッスンでは師弟関係が逆転してしまったことになる。
 曾宮一念は、人になにかを教える“教師タイプ”の性格ではないと思うのだが、第一次大戦後に起きた不況時に、あるいは世界大恐慌Click!の直後に生活費を捻出するためには、画塾を開く以外に方策がなかったのだろう。「どんたくの会」で、曾宮一念は生徒たちに絵の描きかたについて、どのような教え方をしていたのだろうか。
 それを示唆するようなエッセイが、戦後1958年(昭和33)に創刊された山岳雑誌「アルプ」に、曾宮一念の「山を描こう」というタイトルで連載されている。文頭には、絵を「これから試みようとする人々に安易な手引になれば幸いです」と書かれているので、日曜画家を対象に教えていた下落合の「どんたくの会」に通じる趣旨を感じるのだ。
 まず、絵を描く大前提として、絵画の理屈や描法(技法)は「抜きにします」と書いている。画論や技術はもちろん存在するが、究極のところは「どう描いてもカマワナイ」のが本質であり、むしろ画論や技術にとらわれ追随することは「ムズカシイようでヤサシク」、自由に描くことのほうがよほど「ムズカシイのです」として、その点が音楽の初歩で基礎技術をみっちり習得するのとは、大きなちがいだと指摘している。
 絵は明暗でできており、線も明暗も色も、すべて白黒が自然風景のかたちに組み合わされると風景画になるし、抽象画も明暗で組み立てられていることに変わりはなく、立体物を描こうとするとカゲとヒナタができるので、すぐにわかると教えている。室内とは異なり、風景を描く場合は太陽光が変化して安定しないので、あらかじめそれを考慮した立体の描きかたが必要だと説いている。
 風景画について、1972年(昭和47)に木耳社から出版された曾宮一念『白樺の杖』所収の、「アルプ」に掲載された「山を描こう」から引用してみよう。
  
 山には木や岩や雪や雲があって、その表面のものに迷わされます。それらを描くのが目的なら、表面のものに捕われて、山そのものをノガスことがあるのを注意します。/また、平地のサキに山がある場合は、平地はテーブルであり、山は卓上の物体の関係です。山の量感は表側だけで無く、裏側も想像できるように描ける方が良いと思います。/空は山よりズッと遠く、ことに山に近い空ほど遠い感じに見えると、画が広く深く見えます。/以上は普通に自然描写の常識です。しかし、自然写生ばかりが画では無いのですから、立体を無視して平面にしたり、天地左右のプロポーションを変えたり、それらは良い意味での「画そら事」なのです。
  
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 もともと風景は、スケッチブックに捉えきれるはずがないほど巨大なモチーフであり、それを紙という平面に活かせればいいので、あまり上記のことにこだわるなとも書いている。そして、曾宮先生がお勧めの画道具を列記している。
 一、画用紙・スケッチブック。大きさは普通の便箋ぐらいか、その2倍大まで。
 二、鉛筆。4B-6B。但し、紙質によって選ぶ。濃い黒を望む人はカーボン製の
   鉛筆を使う。消しゴム。

 初心者は、とかく画面をキレイに描こうとするが、そんな心配や気配りは無用でむしろマイナスだとし、線がいくつも重なってもかまわないし、消しゴムで消して画用紙が汚くなってもかまわず、ときには汚れることで重厚さが増すことさえあると解説している。あとは、いわく「カッテになさい」。
 ここでは、透明水彩絵の具による淡彩画の技法を解説しているが、油彩画よりもむしろ水彩画のほうがかなり難しいと書いている。これは、絵画を描いたことのある人ならすぐにピンとくる感覚だろうが、油彩画は手間と時間さえかければ、気に入らない箇所は自分の好みに修正することができる。だが、水彩画は一度失敗すると修正がほとんどきかない、いわば一発勝負の画面だ。
 そういう観点からすると、曾宮一念が絵画教室をスケッチと透明水彩からスタートさせているのは、どうすれば描画に失敗しないかを学ばせる、どうやれば自分なりの画面をしくじらずに描くことができるのかを、短期間で学ばせる手段として「淡彩画」を採用しているように見える。また、透明水彩とパステルの併用も教えているが、あくまでも曾宮自身が採用している手法であるとしたうえで、水彩を載せたあとで用いないと画面を汚くしてしまうと注意している。
  
 勝手に描け、と申し上げたのですから、もちろん各独自の方法を採ることが宜しいのですが、私一人の経験では、素描は思い切り濃く描いて置いても、色を付けると、線や明暗が淡れてしまいます。初めに付けた線や暗さが吹き飛んで、シマリの無い平板になり易いものです。この点では透明な水彩えのぐの方が鉛筆の強さを損うことが少なくて済みます。/鉛筆には軽く水彩を塗るなら汚れません。カーボン鉛筆も蝋の入ったものなら汚れません(その代り水をハジクが)。蝋を含まないカーボン木筆や棒状のカーボンのクレヨンに水彩すると墨が溶けて汚れます。それには、フィキサチーフを軽く吹いてから塗ると宜しい。
  
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会津八一デッサン帳1.jpg

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 山岳誌「アルプ」の連載なので、いちおう山を描くことを中心に解説しているが、後半では山にとらわれず海や野など、多彩な風景画の制作について触れている。
 また、自身の体験として、初めて油絵の具を購入したとき、洋書の絵画入門本として「山の描き方」「海の描き方」「人物の描き方」という、小型本を手に入れて読んだ話をしている。だが、せっかく苦労して英文を翻訳しながら読んでも、「子供だまし」のような内容だったという。山や海、人間にそれぞれ別の描法があるはずがなく、絵画制作では「立体と重量」感、そして「物質」感を表現するのであり、「画家によって、物質を主にした人もあり、立体や重量を主にした人もいます。しかし何よりも先ず画であることが第一でしょう」といい、そう書いているそばからこれは「屁理屈」だとしている。この「屁理屈」については、読者がどう解釈するのか課題のひとつとして残した。
 もうひとつ、いい古された初歩的な「遠近法」についても触れている。遠近法は「大分前時代もの」になったが、遠近法的な手法に反しないほうがいいこともあり、また視覚的には遠い山でも美しいのであれば、その景色を中心に(遠近法にとらわれず)描いても別にかまわないので、自分にとって「美しく感ずるところがどこにあるのか、どこをツカンダラ良いかを考えて」、画面に向きあうべきだとしている。
  
 紙と鉛筆を持てばスグに風景画家になれます。その点、一番ハイリ易い画です。しかし、もう一つの考えは、人物や静物は、その形に規制があるから、その点ではムズカシサがあるけれども、実物通り、時には実物大に、俗な言い方をすれば本物ソックリに写すこともできます。/ところが山・海・空・水は本物を紙に写せません。木の枝、草の葉、森、川原の石をどうコナスか、そういうところに昔から手法が倣われ、手本が作られました。これは先人の作品を参考にするなら良いとしても、それに倣って描くのでは、自分の眼と心で見、感ずるので無く、他人の見方・感じ方になります。(中略) そういう教え方は速成の効果はあがっても、折角の自分の心を失って、他人の代用品を作って喜んでいることになります。/私の、この淡彩入門も、このことに陥らないように気をつけたつもりでも、私一個の方法が首を出していないとも限りません。
  
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曾宮一念「開聞岳遠望」1960.jpg

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曾宮一念「平野夕映え」1965.jpg

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曾宮一念「八ヶ岳浅雪」(週刊新潮198711掲載).jpg

 「一応お読みの上、無手勝流に描いてごらんなさい」と結んで、登山の無手勝流は生命の危険があるが、絵画の無手勝流はイノチにかかわることは絶対にないとし、「大いにハメをハズすこと」、ただし課題としていた「屁理屈」はもちろん忘れること……と、曾宮一念ならではのユーモラスなこなれた文章で、「アルプ」誌上の絵画教室をしめくくっている。

◆写真上:100歳も近い晩年に、富士宮アトリエの庭先でラジオ体操をする曾宮一念。
◆写真中上は、1921年(大正10)に竣工間もない下落合623番地の曾宮一念アトリエ。(江崎晴城様Click!提供) は、1934年(昭和9)9月15日に下落合のアトリエで撮影された曾宮一念。は、戦後に富士宮市のアトリエで制作する曾宮一念。
◆写真中下は、3枚とも曾宮一念に絵画を習っていた会津八一のデッサン帳(早稲田大学会津八一記念博物館蔵) は、第2次「どんたくの会」の曾宮一念(右端)。
◆写真下は、1960年(昭和35)に制作された曾宮一念『開聞岳遠望』。は、1965年(昭和40)に描かれた曾宮一念『平野夕映え』。は、1987年(昭和62)に発行の「週刊新潮」11月号に掲載された曾宮一念『八ヶ岳浅雪』(制作年不詳)。

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