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Channel: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
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落合・目白地域に集った名刀たち。

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永青文庫.JPG
 少し前、落合・目白地域にあった邸の、武具蔵に収蔵されていた美術刀剣について、その作品や技術の継承にからめ記事Click!を書いた。戦後、これらの邸にあった作品は各地の博物館や美術館に寄贈されるか、あるいは手放されて離散してしまった作品、戦時中に空襲で「焼け身」となったもの、さらに戦後は行方不明の作品(GHQにより持ち去られたか廃棄処分された)などなど、さまざまな経緯をへて現在にいたっている。
 上記の中で「焼け身」とは、火災で焼けた刀剣のことで、一度火をくぐったことにより当初の焼き刃(刃文)が消滅してしまった作品のことだ。もう一度、焼き入れの段階からやり直し再刃(再び刃をつけること)を施すことは可能だが、オリジナルの刃文とはまったく異なってしまうため、美術的な価値は大きく低下する。古くは1614年(慶長19)の大坂夏の陣で、大阪城内にあった重要な刀剣類がすべて焼け身になってしまい、江戸幕府お抱えの刀工・越前康継が焼き直して再刃したエピソードは有名だが、作品の史的な資料価値はともかく、美術的な価値はあまりなくなってしまった。
 明治以降では、関東大震災Click!や戦時中の東京大空襲Click!山手大空襲Click!などでも焼け身の作品が出ているが、史的な価値の高いものは再刃されて現代まで伝わっている。したがって、落合・目白地域の各邸に保存されていた刀剣作品を正確に把握・規定するためには、戦前の収蔵品リスト、すなわち大正期から昭和初期にかけて登録されていた刀剣目録を参照する必要がある。それには、当時の「国宝」に指定された刀剣リストや、いわゆる「名物帖」と呼ばれる美術的にも史的資料としても価値の高い刀剣リストから、落合・目白地域に残る作品を総ざらえするのが手っとり早いだろう。
 ただし、戦前に指定されていた「国宝」と、戦後に規定されている国宝の価値とは大きく異なる。戦後つまり現代の規定は、あくまでも美術的かつ学術的にも優れて重要な作品が指定されているが、戦前の「国宝」には皇国史観Click!が通底しており、美術的にも学術的にもたいしたことのない作品が、天皇がらみというだけで「国宝」に指定されるなど、きわめて恣意的で政治的かつ国家主義的なイデオロギー要素が強いことに留意したい。事実、これは刀剣作品に限らないが戦前は「国宝」だったものの、戦後になると重要文化財に格下げされたり、重文にさえ指定されない作品も決して少なくない。
 さて、まず高田老松町の細川邸から見ていこう。細川護立Click!は、刀剣の名物蒐集が趣味だったせいか、今日でも価値のきわめて高い作品群が収蔵されていた。
細川護立邸.jpg
 もちろん、上記のリストは細川家にあった刀剣作品のほんの一部だが、代表的なものを挙げただけでも国宝クラスの作品が収蔵されていたのがわかる。
 茎(なかご)銘の中に「磨上」とあるのは、江戸期の規定に合わせて長寸の刀を磨り上げた(短縮した)という意味で、「光徳」は室町末期から江戸初期にかけて活躍した刀剣の鑑定家であり、研師でもある本阿弥光徳のことだ。つまり、備前長船長光の長寸な刀を光徳自身が磨り上げ、短くなったぶん茎の銘がなくなってしまうので、光徳が花押とともに金象嵌で銘を保証している……という意味になる。細川家の蒐集品は、鎌倉期から南北朝・室町期にかけ、刀工たちも相模から越中、山城、備前、豊後と全国におよび、蒐集のスケールが大きかったことをうかがわせる。
包丁正宗(細川).jpg
黒門長屋カラー.jpg
埋忠明寿(相馬).jpg
 つづいて、下落合の近衛篤麿・文麿邸には、鎌倉期の山城と備前鍛冶の作品があった。
近衛篤麿邸.jpg
 藤四郎吉光は、鎌倉中期に京の粟田口で鍛刀していた鍛冶で、短刀づくりの名人だった。ほかのふた口は備前鍛冶で、いわゆる“古備前”に分類される作品だ。特に、美術刀剣としては地味だが、仁治期に生きた秀近の太刀があるのがめずらしい。ただし、近衛家の蔵刀はこれだけではなかっただろう。近衛篤麿Click!が死去したあと、近衛文麿Click!が1918年(大正7)に売り立てを行なっているが、その売立入札目録Click!を見ると多彩な作品が並んでいる。その中で、上記の作品だけは入札目録には掲載しなかったようだ。
 つづいて、下落合の相馬孟胤・惠胤邸Click!には、以前にも一度ご紹介Click!しているが、慶長期に活躍した新刀の祖・埋忠明寿の、唯一残された太刀が眠っていた。
相馬孟胤邸.jpg
 埋忠明寿は、室町期以前の古刀時代から江戸期の新刀時代への橋わたしをした刀工(金工師でもあった)であり、堀川國廣とともに美術刀剣史でもきわめて重要な存在だ。茎には「他江不可渡之(他所へこの太刀を渡すべからず)」と彫られているので、明寿にとって同作は快心の出来だったのだろう。それが、どういう経緯で相馬家に伝来したものかは不明だが、明寿の大作としてきわめて重要な作品となっている。
 つづいて、下落合の津軽義孝邸には、鎌倉期の高名な金象嵌正宗が伝承されている。
津軽義孝邸.jpg
 通称「津軽正宗」としてあまりにも有名な本作だが、室町期には武田家に江戸期には徳川家に仕えた城和泉守昌茂が持っていたが、早い時期に津軽家へと移り、江戸期を通じて同家で保存されていた。「本阿」とは上記の本阿弥光徳のことで、同作も彼が正宗と折り紙をつけ磨り上げている。現在は東京国立博物館にあり、いつでも観賞することができる。
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津軽正宗(津軽).jpg
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 次に、下落合の西坂にあった徳川義恕邸には、鎌倉期の長船長光が伝承されていた。
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 徳川家に数点伝わる長光だが、同作は本能寺の変のあと明智光秀が安土城から持ちだし、家臣の津田重久に与えた「津田長光」とは別口だろう。尾張徳川家の流れをくむ西坂・徳川家だが、戦後は徳川美術館に収蔵されているのかもしれない。
 さて、下落合の林泉園住宅地Click!を開発した東邦電力Click!松永安左衛門邸Click!にも、鎌倉期に備前で活躍した刀工の作品が所蔵されている。
松永安左衛門邸.jpg
 銘の「一」は刀工名ではなく、鎌倉末期に備前長船で鍛刀していた一文字派工房の「商標」のような切り銘だ。匂い本位で丁子刃を焼いた華麗な刃文は、どちらかといえば武家よりも京の公家に人気が高かったようだが、吉岡一文字派や福岡一文字派など「一」を刻む刀工集団が複数あり、松永家にあった作品がいずれの工房作かは不明だ。
 目白町4丁目41~42番地に徳川義親Click!が転居してくる以前、住所が雑司ヶ谷旭出41~42番地の時代には戸田康保邸Click!が建っていたが、同家に伝わった刀剣についてはあちこち取材してもよくわからなかった。1934年(昭和9)になると徳川義親邸Click!が建設されているが、同家の武具蔵はもはや美術館のような光景で、キラ星のごとく名作が並んでいる。ただし、下記の作品は目白町と名古屋に分散されていたとみられ、特に1935年(昭和10)に徳川美術館が設立されて以降は、名古屋での保管がより増えたのではないかとみられる。
徳川義親邸.jpg
 もはや解説するまでもなく、ネットで茎銘や通称の刀銘を検索すれば、すぐにも詳細な解説が見つかる銘品ばかりだ。しかも、これは徳川義親が所蔵していた作品の、ほんの一部にすぎない。いや、本記事にピックアップしている美術刀剣は、すべて国宝か重要文化財クラスの作品ばかりで、ほかにも今日では重文や重要美術品に指定されている作品が、落合・目白地域に建っていた大屋敷には収蔵されていた可能性が高い。
徳川黎明会.JPG
包丁正宗(徳川).jpg
不動正宗(徳川).jpg
 最後に、東京国立博物館で長く刀剣室長を務め、つづいて工芸課長に就任して、美術刀剣の研究や保存に尽力した小笠原信夫の言葉を引用して記事を終えたい。
  
 日本人は「花」といえば桜をいうように、古くから桜花を愛し続けてきた。それは視覚的な美しさ以上に心情的に深く共鳴する感性をもっているのではなかろうか。本居宣長の「敷島の大和心を人問わば朝日に匂ふ山桜花」の歌は、朝の光に照り映える桜に心を通わす日本人特有の遺伝子の表現だという人がいる。/それを、潔ぎよく散ることが武士道だと曲解させて軍国主義へとつき進み、若い人達を死地に駆り立てた一時代があった。その軍刀外装金具に、鋳型で量産された山桜の文様が散らされている。私は、早く散るということを武士道だと鼓舞したこともさることながら、軍刀に山桜文を用いて大和心だと思わせようとしたことに憤りをおぼえる。
  
 2007年(平成19)に文藝春秋から出版された、小笠原信夫『日本刀』(文春文庫)より。

◆写真上:細川家で蒐集された収蔵刀剣展が開かれる、肥後細川庭園の永青文庫。
◆写真中上は、細川家伝来の「包丁正宗」。は、相馬邸にあった黒門長屋のカラー写真。(提供:相馬彰様Click!) は、同家伝来の埋忠明寿の太刀茎と不動彫刻。
◆写真中下は、下落合の見晴し坂上にあった津軽義孝邸跡の現状で遠景は新宿西口の高層ビル群。は、同家に伝えられた高名な「津軽正宗」。「正宗の太刀」といえば、同作をイメージする刀剣ファンは多い。鋩(きっさき)が大きく伸び(大鋩)、鎌倉後期の典型的な体配(太刀姿)をしている。は、「一」と切られた福岡一文字の太刀茎。
◆写真下は、下落合の北側に接する目白町にあった徳川義親邸跡で、現在は徳川黎明会になっている。は、同家伝来の「包丁正宗」と「不動正宗」。

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