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Channel: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
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けしからぬ大正時代の事件いろいろ。

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大杉栄・伊藤野枝宅跡.JPG
 これまで、落合地域やその周辺域で発生した、いろいろな事件や事故をご紹介Click!してきた。その時代背景や社会状況を反映するかのように、殺人や強盗、泥棒、火災、自殺、列車事故……と、さまざまな事件や事故が起きているのだが、きょうはその中でもどうしようもない種類の事件、当時の新聞報道によっては「変態性欲」犯罪と名づけられたものをいくつか見てみたい。
 もっとも、大正期の前半は東京郊外の田畑ばかりだった落合地域では、その種の事件はあまり見あたらないので、少し範囲を拡げて新宿地域で見てみよう。参照するのは読売新聞、報知新聞、東京日日新聞、そして東京朝日新聞だが、これらの記事は帝国教育研究会が1924年(大正13)にまとめた『精神科学/人間奇話全集』に収録されているので、日付はハッキリしない記事が多いものの、事件のほとんどは大正時代に起きていると思われる。
 まず、東京日日新聞から淀橋町柏木(現・北新宿)で発生した、女性の胸とお尻を刺して逃げる、連続痴漢通り魔事件を取りあげたい。東京日日新聞から引用してみよう。
  
 女の胸と臀を刺す痴漢
 東京市外淀橋町柏木一一八堀込國三郎義妹きみ(二十五)が同町九一先を通行中、二十二歳位の書生風の男が、ナイフできみの胸を突き悲鳴を揚て倒れると逃走した。間もなく柏木二三二長谷川ふじ四女のぶ(十九)が同町八八先通行中同様の男に臀部をナイフで刺され犯人は逃走した。
  
 女性たちは軽傷だったようだが、「書生風の男」は逃走したまま捕まっていない。当時は、街角に監視カメラなどなく、ハッキリした目撃者(証言)がいなければ追跡や捜査がむずかしかったのだろう。淀橋町柏木のこの事件は、それ以前に横浜の伊勢佐木町で起きた、短刀(ナイフ)で女性のお尻を斬る痴漢事件を模倣していると思われるのだが、この事件の犯人も逃走したまま捕まっていない。報知新聞から引用してみよう。
  
 女の臀を斬る痴漢
 横浜市伊勢佐木町通り大河原靴店員堀の内一〇〇菓子商豊田彌一長女八重(十六)は帰宅途中、付近の路次で卅歳前後の鳥打帽をかむり、筒袖外套を着た職人風の男が突然飛びかゝり、怪しからぬ振舞をしやうとしたので、悲鳴を揚て救ひを求めた所、怪漢は隠し持た短刀で八重の左臀部を斬り暗中に姿を没した、寿町署で犯人厳探中。
  
 山手線の新宿駅では、女性の便所を5時間ものぞいていた痴漢が逮捕されている。当時から、人々が多く集まるターミナルの鉄道駅には、スリや置き引き、痴漢などの犯罪が多発していたようで、地元の淀橋警察署では私服刑事を巡回させて警戒にあたっていたらしい。東京朝日新聞の短い記事から引用してみよう。
  
 五時間も女の便所覗き
 本所区馬場町一ノ五宮坂勝郎(二十六)は、前夕五時頃から九時頃まで、新宿駅内の共同便所で、隣の便所を覗いてゐた所を、巡回の淀橋署刑事に引致され大目玉。
  
 夕方から夜の9時まで、まあ根気のいる臭い“のぞき”をしていたものだ。刑事に捕まったとき、足がしびれてとっさには立てなかったのではないだろうか。ちなみに、当時の新宿駅の便所は、水洗ではなく汲みとり式だったろう。
2代目新宿駅1906.jpg
新宿駅東口.JPG 新宿駅西口.JPG
 同じく、駅の共同便所における痴漢事件が、神楽坂下の牛込駅(現・飯田橋駅)でも起きている。用を足していた若い女性に、短刀を突きつけて脅迫していた男を、悲鳴を聞いて駆けつけた牛込署員が現行犯で逮捕した。余罪を追及すると、神楽坂の路上で芸者屋の半玉が下腹部を刺された事件を自白している。報知新聞から引用してみよう。
  
 女の下腹を突刺す痴漢
 東京市牛込神楽坂下牛込駅前共同便所内から、女の悲鳴が聞えるので、同所の神楽坂署員が取調べると、十八歳位の青年が用便中の婦人に短刀をつきつけ強迫中なので直ちに捕へた。此男は牛込区築土町×島×郎といふ不良青年で、之より先同区上宮比町四番地芸者屋新若松の半玉加藤みさ(十六)が同町七番地先通行中突然鋭利な短刀やうな凶器で、みさの下腹部を突刺し、重傷を負はせて逃走したものであることをも判明した。
  
 神楽坂に芸者屋があり、半玉(はんぎょく)が歩いているところをみると、この事件は関東大震災Click!のあと、下町にあり壊滅した華町の多くの見世が、乃手の神楽坂へいっせいに臨時移転した、1923年(大正12)9月以降に起きているのではないだろうか。
 新宿地域からは離れるが、着物を着た女性の袂(たもと)をカミソリで切って、その布きれの匂いをかぐという変態痴漢事件が浅草公園で起きている。犯人が逮捕されたとき袂を切られていたのは、浅草へ遊びにきていた下渋谷の若い女性なのだが、ほかにも12人の女性が被害に遭っていることが判明した。つづけて、報知新聞から引用してみよう。
  
 女性の裾袂を切て嗅ぐ男
 東京府下下渋谷一〇五佐藤よし(二十二)が盛装して浅草観音に詣で、仲見世通りを通行中、突然一人の男がよしの紋羽二重の、左の袂を鋭利な剃刀で切取た所を、通り掛つた象潟署の刑事が引捕へ取調べると、本年二月一日以来浅草公園に出没して、お座敷帰りの芸妓や、通行の婦人の袂を切てゐた犯人、本郷区動坂町二十六大谷利作(二十七)といふもので、十二名の婦人の袂切りを自白した。(中略)所持の紙包の中には郷里から持て来た娼妓の写真、浅草千足町二丁目三六三番地福島家の女ゆり子、美佐子と書いた名刺、六区の白首の名刺、其他洋食屋の女給の写真らしいのが二枚、芸妓の写真春画等が入つてゐたといふから、表面真面目を装つて盛んにやつてゐたものらしく、郷里の浜松で写した娼妓の写真を大事さうに了ひ込んでゐた所から見ると、上京前から其麼萌(きざし)があつたものと見える。
  
神楽坂(昭和初期).jpg
浅草仲見世通り(大正末).jpg
 きわめつけは、旧・両国国技館(本所国技館Click!)で開かれていたイベント「納涼園」で、京風の舞妓や芸妓の美しい生き人形へ“けしからぬ”「暴行」を加え、そのまま気持ちよく寝入ってしまった、三井物産の印半纏(しるしばんてん)を着た中年男の怪事件だろう。いちおう警察へ突き出されたが、人間に対する「暴行」ではなく相手がマネキンClick!なので、刑事事件の何罪にあたるのか苦慮し、男の側にもほとんど罪の意識がなかったようだ。センセーショナリズムがお得意な、読売新聞から引用してみよう。
  
 芸妓の人形に暴行
 (前略)ト昨日の朝八時半頃、表口へ監督の木村小舟氏が出勤してみると、涼み台に腰掛てゐる舞妓の無心に輝く艶やかな顔は薄汚なく穢され、無残にも首の付け根は外れて仰向けに曲り、右側の掛茶屋に坐つてゐた潰し島田の芸妓は後ろざまに押し倒され、手も足もヘシ折られ、裾は乱れて落花狼藉。監督が吃驚して四辺を見廻すと、掛茶屋の縁の下に三井物産の印半天をを着た、三十位の男が前後も知らずぐつすり深い眠りに落ちてゐた。/犯人はテツキリ此男と監督が引ずり起して訳を聞くと、男は嬉しさうな顔で隠す所なく喋べり立てた。人形をよく検べてみると、成程二ツとも人形の腰の辺りは汚れ、きわびやかな帯も着物も見られたものでない。早速相生署に突出したが此男は、千葉県行徳伊勢福一一五〇早川小太郎(三十)といふもので、廿八日の夜見物して人形の美しさが忘られず、二十九日の午前三時頃引返し、表口の柵を乗越え忍び入て人形に暴行を加へ、其のまゝ疲れて寝入た者と判つたが、警察では殺人罪にも〇〇罪にも出来ず、変態性欲者として取扱つた。
  
両国国技館(本所国技館).jpg
新宿三越1933.jpg
 人形に恋をし、「暴行」してしまったこのおかしな事件は、はたして江戸川乱歩Click!の作品へ格好のインスピレーションを与えやしなかっただろうか。ちなみに、大正の中ごろの江戸川乱歩は、落合地域の西隣りにあたる下戸塚の早大近くにいて、いまだ立教大学Click!近くには転居してきていない。乱歩が池袋へ引っ越してくるのは、1934年(昭和9)になってからのことだ。

◆写真上:旧・淀橋町柏木(現・北新宿)の街並みで、大杉栄・伊藤野枝Click!邸跡。
◆写真中上は、1906年(明治39)に竣工した大正期の2代目・新宿駅で、のぞき事件は同駅の共同便所で起きた。は、現在の新宿駅東口()と西口()。
◆写真中下は、牛込駅(飯田橋)方面から撮影された昭和初期の神楽坂。は、震災の壊滅的なダメージから復興した大正末の浅草寺仲見世通り。
◆写真下は、震災復興絵葉書にみる旧・両国国技館(本所国技館)のドーム(右上)。日本橋側から眺めた光景で、手前は大川(隅田川)と大橋(両国橋)。は、1933年(昭和8)撮影の新宿三越ショーウィンドウにみる和装のマネキン人形たち。


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