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児童文学の宝庫としての三岸アトリエ。
先日、三岸アトリエClick!の山本愛子様Click!より、また未整理の資料が出てきたとのご連絡をいただいた。以前、アトリエ2階に山積みのまま残され、整理させていただいた三岸好太郎Click!および三岸節子Click!の資料類とは別に、2階の書斎兼書庫のクローゼットに収納された段ボールの中から、児童文学関連の資料が大量に見つかったのだ。...
View Article目白駅の橋上駅化は1922年(大正11)。(上)
目白駅(目白停車場)Click!が、金久保沢Click!の谷間にあった駅舎および改札から橋上駅化されたのは、数多くの書籍や資料で1919年(大正8)と規定されているが、それはいったいどのような根拠にもとづいているのだろうか? 当時の工事記録や、工事が行われた当時の資料類に当たり、ちゃんと“ウラ取り”がなされた記述なのだろうか?...
View Article目白駅の橋上駅化は1922年(大正11)。(下)
目白駅の橋上駅化の錯誤Click!は、おそらく尾崎翠Click!の旧居跡の誤規定Click!のケースとよく似ているのではないかと思われる。最初に、目白駅の橋上駅完成は「1919年(大正8)」と規定した人物は、鉄道史の分野ではそれなりに大きな影響力のある研究者あるいは執筆者で、書かれた書籍は東京市街地の鉄道史を知るうえでは、一種の“バイブル”のような存在だったのではないだろうか。...
View Article交流や連携がなさそうな住民互助会。
以前、下落合2丁目(現・下落合3~4丁目界隈)の住民互助組織である、同志会Click!についてご紹介をしている。1939年(昭和14)4月30日に、戦時体制下で新たに結成された下落合の各町会へと吸収される同会だが、同志会のエリアに隣接した地域にも、プレ町会と呼ぶべき同じような住民互助組織がいくつか存在していた。...
View Article四谷見附のヒソヒソ話は聞こえるか?
ときどき、近くに新宿歴史博物館Click!や雙葉学園Click!、佐伯祐三一家の墓Click!がある四ッ谷駅には出かけるのだが、四ッ谷駅のある外濠の四谷御門(四谷見附)から牛込御門(牛込見附)にかけての周辺は、芝居に多く取りあげられた物語の宝庫でもある。...
View Article中村彝が制作したオウムのフィギュア。
中村彝Click!の作品の中に、1918~1919年(大正7~8)に制作された庭の情景で、木々に鳥かごを吊るして描いている画面が3点ほど現存している。鳥かごの中には、わりと大きめな鳥が描かれており、グリーン系の絵具で塗られているのでインコかオウムのような様子をしている。では、中村彝は画面に描いたような、インコないしはオウムを飼っていたのだろうか?...
View Article下落合で死去し大磯で甦ったE.サンダース。
残された聖母病院の死亡診断書によれば、1946年(昭和21)10月3日の午前11時4分、エリザベス・サンダースは大腸癌のために下落合の聖母病院で死去している。故郷の英国を離れて来日してから、すでに33年の歳月がたっており76歳だった。...
View Article下落合を描いた画家たち・林武。(3)
林武Click!の気になる作品に、1921年(大正10)の制作といわれる『武蔵野風景』がある。同作の画面右端に、朱筆で制作年と署名があるのだけれど、それを拡大してみると「千九百二十一年 林武」とは、どうも読めない。「千九百」まではそのとおりなのだが、次の「二」を消して「≠」とし、つづけて「廿七年...
View Article下落合を描いた画家たち・松本竣介。(3)
松本竣介Click!が制作した素描に、近くの小学校を描いていると思われる作品が2点確認できる。ただし、さまざまな風景を彼独自の“構成”手法で画面に配していると思われるので、実景とはやや異なっている点を想定しなければならない。その手法を割り引いて考慮しても、おそらく松本アトリエClick!からほど遠からぬ風景を描いていると思われる小学校の素描だ。...
View Articleけしからぬ大正時代の事件いろいろ。
これまで、落合地域やその周辺域で発生した、いろいろな事件や事故をご紹介Click!してきた。その時代背景や社会状況を反映するかのように、殺人や強盗、泥棒、火災、自殺、列車事故……と、さまざまな事件や事故が起きているのだが、きょうはその中でもどうしようもない種類の事件、当時の新聞報道によっては「変態性欲」犯罪と名づけられたものをいくつか見てみたい。...
View Article下落合を描いた画家たち・今西中通。(2)
上落合850番地に住んでいた今西中通Click!の作品に、もうひとつ気になる画面がある。制作時期はハッキリしていないようだが、1930~1932年(昭和5~7)ごろとされ落合時代と重なる『風景(夕暮の橋)』だ。この画面を実景として眺めると、このような風景は昭和初期の落合地域には存在していない。しかし、画家の意図的な構成を前提に考えてみると、それぞれの情景には心あたりがあるのだ。...
View Article落合・目白地域に伝わる「名刀」たち。
目白には、正宗をはじめ多彩な名刀類がそろっている。それは、刀剣の蒐集・観賞が趣味だった細川護立邸Click!が目白台にあったせいだが、現在でも同家の刀剣展が永青文庫で開かれると、ついフラフラと散歩がてら観にいってしまう。でも、きょうは由来や素性がハッキリし、戦後の進んだ研究や厳密な鑑定などで真作とされている同家の名刀類ではなく、落合・目白地域に伝わる「名刀」たちについてご紹介したい。...
View Article下落合を描いた画家たち・曾宮一念。(4)
静岡の江﨑晴城様Click!より、曾宮一念Click!の「下落合風景」と思われる画面を再びお送りいただいた。江崎様が、8月から佐野美術館で予定されている『曽宮一念と山本丘人...
View Article高田八幡(穴八幡)は穴だらけ。
下戸塚にある高田八幡が、江戸時代の1641年(寛永18)秋に発見された洞窟によって、通称「穴八幡」とよばれるようになったことは、以前にこちらでもご紹介Click!している。しかし、その穴の形状がどのようになっていたのかは、詳細にはご紹介していなかった。改めて江戸期の資料を参照すると、穴八幡が実は“穴だらけ”だったことがわかる。...
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