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自宅を西へ引っぱった矢田津世子邸。
やはり、下落合4丁目1982番地にあった矢田邸は、改正道路(環6=山手通り)Click!の工事計画にひっかかり、住宅自体を敷地の西隣りへと引っぱっていた。改正道路工事にひっかかったのは、矢田邸が建っていた敷地の大半で、現在は山手通りの8m歩道から見上げる、切り立った一ノ坂の崖上になってしまった位置にあたる。...
View Article南武蔵勢力の本拠地は東京都心?
先に相馬俊子が女子聖学院卒業とともに進学した、新宿駅西口の淀橋町角筈101~109番地にあった女子学院高等科Click!(現・東京女子大学)を調べていて、その南に接した大型の前方後円墳・新宿角筈古墳(仮)Click!について書いた。前半が中村彝Click!をテーマにした文章で、後半が大正初期まで通称「津ノ守山」と呼ばれた規模の大きな古墳についての記述がつづく、統一感のない妙な拙記事だ。...
View Article下落合を描いた画家たち・参謀本部陸軍部測量局。
日本で地形図が作られはじめた明治初期、参謀本部の陸軍部測量局はいまだドイツ方式ではなく、フランス方式の地図表現を採用していた。いわゆる「東京実測図」と呼ばれる、1884年(明治17)から製作がスタートする1/5,000地形図は、すでにドイツ方式が採用されているが、それ以前に東京各地を測量して作られた地図は、カラーの1/20,000地形図でフランス方式にもとづいていた。...
View Article近衛町の夏目利政はアトリエ設計マニア。
九条武子邸Click!の向かい、下落合793番地にアトリエを建てて暮らしていた彫刻家・夏目貞良(亮)Click!の兄であり、下落合436番地に住んでいた日本画家で洋画も描く夏目利政Click!は、アトリエを自分で設計して大工に建てさせる建築マニアだった。...
View Article目白文化村絵はがき3枚から考察する。
目白文化村Click!の絵はがきをもう1枚、古書店で入手することができた。箱根土地Click!が第一文化村の販売後、第二文化村の販売を目前にした1923年(大正12)の春から初夏にかけ、東京府内へ発送していたDM用の絵はがきだ。...
View Article小島善太郎は巨大古墳の上に立った。
小島善太郎Click!は、淀橋町に住み淀橋小学校へと通っていたころから、高いところへ登って風景を眺望するのが好きだったようだ。この性格は、小島が画家をめざすようになってからも、風景画にその特徴を多く見い出すことができる。高台や丘の上から、坂下や麓を見下ろして描いている画面が数多い。幼年時代から、彼は近くの丘や高所に登っては四辺を見わたしている。...
View Article媒体広告にみる「近衛町」開発の推移。(上)
1922年(大正11)5月7日から販売がスタートした、下落合東部の「近衛町」Click!に関する東京土地住宅(株)Click!による新聞出稿の媒体広告を、販売開始日の前後を含め、まとめて入手したのでご紹介していきたい。箱根土地(株)Click!が開発した目白文化村Click!は、同年6月20日に第一文化村の分譲を開始しているので、それよりも1ヶ月半ほど早い売り出しだった。...
View Article媒体広告にみる「近衛町」開発の推移。(下)
さて、話は前後するけれど、近衛町の販売Click!がスタートしてから約2ヶ月後、1922年(大正11)6月17日に東京土地住宅は、今度は近衛町の北西に位置する林泉園Click!を中心とした、「近衛新町」の販売を大々的に発表している。 それに先がけ、同社は5月18日に組織の大規模な変更を発表し、営業部隊と会計課を社外(本社向かいの京橋区南紺屋町24番地...
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