近衛騎兵連隊の敷地を割譲させた石井機関。
下落合からおよそ南東へ1.8kmほどのところ、山手線をはさんだ広大な戸山ヶ原Click!の東側を見わたしていて、ひとつ不思議に思いひっかかっていたことがある。陸軍軍医学校Click!が、なぜ近衛騎兵連隊Click!の敷地まで削って、防疫研究室Click!(石井機関=731部隊の国内本部)を建設できたのか?……という不可解な疑問だ。...
View Articleナルプ崩壊に居あわせた上落合の平林彪吾。
ときに、落合地域は戦前戦後を通じて街角ごとに、洋画・日本画を問わず画家や彫刻家などの美術関係者が暮らし、街全体が「美術町」ではないかと思うことがある。ここで記事にしてきたのはほとんどが洋画家だが、落合地域に住んだ美術家たちの10分の1も取りあげていないのではないかと感じている。なぜなら、「下落合風景」Click!を描いていない画家たちは、拙サイトの趣旨としては基本的に取りあげにくいからだ。...
View Article銀座から目白文化村へ1円じゃ帰れない。
下落合1470番地に住んだ龍膽寺雄Click!については、入居していた「目白会館」Click!をめぐってこれまで何度か記事Click!にしてきた。都新聞の記者が取材して書いた、1931年(昭和6)8月18日発刊の矢田津世子Click!に関する同紙の記事Click!で、ようやく彼が目白文化村Click!に住んでいた事実を突きとめ規定することができた。...
View Article曾宮一念の「工場風景」をめぐって。
1925年(大正14)に弘文社から出版された、第1次「どんたくの会」Click!での授業をベースにしたとみられる、鶴田吾郎・曾宮一念の共著『油絵・水彩画・素描の描き方』Click!のグラビアには、曾宮一念が工場を描いた『風景』が収録されている。...
View Article平林彪吾と五木寛之の「売血」小説。
いまの若い子は、「売血」などという商売があったことを知らないだろう。輸血用の血液製造が、1974年(昭和49)に売血由来から献血由来に切り替わってからは下火になったが、その後も自身の血を売っては金銭を得る売血は献血とともに存続し、「有償採漿」すなわち売血が法的に全面禁止されたのは1990年(平成2)になってからだ。...
View Article開発中の「渋澤農園分譲地」を歩く佐伯祐三。
佐伯祐三Click!の「下落合風景」シリーズClick!の1作、目白通り(当時は葛ヶ谷街道と呼ばれることが多かった)を描いた1926年(大正15)ごろのカラー画面をようやく観ることができた。以前にも一度、朝日新聞社版の『佐伯祐三全画集』(1979年)に収録されたモノクロ画像Click!でご紹介していたが、カラー画像によって新たに判明した風景の様子を踏まえ、改めて描画ポイントを検証してみたい。...
View Article劉生日記にみる体調と地震の気になる関係。
かなり以前、岸田劉生Click!の日記Click!をベースに、関東大震災Click!の予兆とみられる現象が起きていたかどうかの記事Click!を書いた。相模トラフのプレートがズレたとみられる同大震災だが、1923年(大正12)9月1日に起きた本震の前に、その前兆と思われる地震が記録されていないかどうかを、劉生日記の記述に求めたものだった。...
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