家内が修羅の中條百合子邸訪問。
1921年(大正10)に住宅改良会Click!から発行された『住宅』1月号には、本郷区駒込千駄木林町21番地にあった中條百合子(のち宮本百合子)Click!の新婚家庭を見学する訪問記が掲載されている。新婚家庭といっても、この地番にあった家は中條百合子の実家であり、両親の反対を押し切って米国で結婚した古代東洋語を研究する荒木茂は、日本に帰ると百合子の実家へ身を寄せている。...
View Article彝から何かと頼まれちゃう鈴木金平。
鈴木金平Click!が、初めて中村彝Click!と出会ったのは、1915年(大正4)に岡田虎二郎Click!が本行寺Click!で主催した「静坐会」でのことだった。その後、鈴木金平は本行寺のすぐ近く、下谷区谷中初音町3丁目12番地の桜井方に下宿していた中村彝を訪ねている。だが、当時の彝は作品を手に訪ねてきた若い画学生に、かまっている精神的な余裕などなかっただろう。...
View Article下落合を描いた画家たち・松本竣介。(4)
本来なら、この原稿を松本竣介の(1)として書くべきだったのだが、以前に田島橋と目白変電所を記事Click!に取り上げた際、その作品類にも多少触れていたので、わたしの怠惰な性格から改めて取り上げることをしなかった。きょうは、『立てる像』と『ごみ捨て場付近』など一連の作品について、再び詳しく書いてみたい。...
View Article時代劇の映画ロケ隊はどこから?
下落合で行われた映画ロケについて、これまで何度か記事でご紹介Click!してきた。それらは、ほとんどが現代劇だったのだが、御留山Click!の相馬邸Click!正門、すなわち「黒門」Click!の前で行われていた時代劇映画のロケ隊が、はたしてどこからやってきたのかがきょうのテーマだ。地元の伝承によれば、阪妻Click!の映画撮影も行われていたらしい。...
View Article白蓮が火をつけた大正期の離婚論議。
1921年(大正10)の秋、柳原白蓮Click!(伊藤白蓮)と宮崎龍介Click!の「恋愛事件」が新聞Click!や雑誌を賑わしたあと、翌年から婦人雑誌を中心に日本における「離婚事情」をテーマにする記事が急増している。1922年(大正11)に発行された「婦人之友」12月号に掲載の、平林初之輔「現代に於ける離婚の自由」もそんな評論のひとつだ。...
View Article落合地域に棲息した動物たち。
戦前まで、落合地域にはどのような動物たちが棲息していたのだろうか。1936年(昭和11)に陸軍が撮影した空中写真を見ても、落合地域にはいまだ緑の濃い森林や田畑が拡がり、神田上水や妙正寺川沿いに灌漑用水として引かれた小川が随所に流れていたのが見てとれる。そこには、おそらく幕末から明治期にかけての目撃談だろう、いまでは絶滅してしまったといわれているニホンカワウソの姿も含まれている。...
View Articleお岩さんの家は目白のどこだ?
四世・鶴屋南北Click!(大南北)が、71歳のときに書き下ろした芝居『東海道四谷怪談Click!(あずまかいどう・よつやかいだん)』のヒロイン、お岩さんは目白のどこに住んでいたのかがきょうのテーマだ。江戸時代の目白のエリア概念Click!はもっと東側、現在の目白坂や椿山Click!のある一帯だから、厳密にいえばお岩さんは目白に住んでいたのではない。...
View Article江戸川乱歩の転居先を追いかける。
新宿区エリアに残る、江戸川乱歩Click!の足跡を調べていると目がまわってくる。大正期から1933年(昭和8)までの代表作は、ほとんどがこのエリアで書かれているせいか、居住地の周辺が作品の舞台に登場することもまれではない。以前、怪人二十面相の諏訪町にあったとみられるアジトClick!をご紹介したが、きょうは作者の乱歩自身が新宿エリアを転々としていた軌跡を追いかけてみたい。...
View Article九条武子と柳原白蓮の「あけがらす」。
先日、西武デパートで開催されていた「生誕130年・柳原白蓮の生涯展」を見に出かけたのだが、その展示物のひとつを見て思わずのけぞってしまった。展示の中に、柳原燁子(白蓮)Click!と九条武子Click!がお揃いであつらえた、紋入りの黒羽織が架けられていた。それだけなら、「揃い羽織だなんて、ふたりは相変わらず仲がいいんだな」……で通りすぎたのだが、その裏地の柄と羽織の名称を見てビックリしてしまった。...
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