鷹狩りで仕事が増える御留山。
代々の徳川家が、千代田城を出て江戸近郊で狩りをするのは、生類憐みの令Click!の5代将軍・綱吉の時代を除いては恒例行事化していた。将軍家に限らず、徳川御三家(紀伊・尾張・水戸)はもちろん、御三卿(一橋・清水・田安)も頻繁に近郊で狩りを催している。...
View Article夏子が語る下落合2丁目801番地。
さまざまな絵画や小説、映像などには下落合が登場してくるのだが、そこでは山手線のもよりの駅名「目白」や「高田馬場」ではなく、大正初期から地域の独特なアイデンティティを形成していた「下落合」という地名が意識的に使われることが多い。それは、山手線の駅に近いにもかかわらず、「代官山町」のことを誰も「渋谷」や「恵比寿」と呼ばないのと同じような感覚だろうか。...
View ArticleJAZZめぐりと丘上散歩の学生バイト。
横浜・元町の入り口あたりにあった喫茶店で、カウンターのアルバイトを1年と少しの間していたのは、大学3年生のときだった。なぜ、横浜Click!の石川町界隈なのか・・・?...
View Article月見の風流は山手線の車窓から。
日本鉄道の品川~赤羽線が1885年(明治18)3月1日に開業したあと、1906年(明治39)に同鉄道が政府により国有化されると、1909年(明治42)12月16日には山手線Click!としては初の電車が走っている。もっとも、当時はいまだ環状線ではなかった。...
View Articleイサム・ノグチも通ったアトリエ研究会。
下落合679番地に建っていた笠原吉太郎アトリエClick!を、戦後に借りて仕事をしていたとみられるのは、シュルレアリズムやキュビズムを研究・表現した洋画家であり写真家、前衛美術家、マルチ・アーティストとさまざまなショルダーをもつ阿部展也(芳文)だ。...
View Article面白い中村彝アトリエのフィニアル。
復元された中村彝Click!アトリエの、屋根上のフィニアル(飾り立物)Click!が面白い。初期型アトリエの屋根に載っていたのは、切妻の外側に向かってまるで波止場のもやい綱をとめる繋船柱のような形状をしたフィニアルだった。復元されたアトリエには、それとは多少デザインが異なるけれど、建築家の方々が似たようなフィニアルを探してくださったようだ。...
View Article中村彝アトリエ関連の追加のご要望。
タイトルを見ただけで、「うるさいこと」を言われそうだ…と身がまえた、新宿区の「中村彝アトリエ記念館」Click!ご担当のみなさま、たいしたことはないのでご安心を。w...
View Article松下春雄の住まいと佐伯祐三が見た光景。
松下春雄Click!は、1925年(大正14)に池袋の上屋敷Click!(西巣鴨町池袋大原1382番地の横井方)から、下落合1445番地の鎌田方Click!へと転居している。これが、松下が落合地域へ足を踏み入れる端緒となった引っ越しだった。このとき、おそらく彼は上屋敷にあった渡辺医院の娘、渡辺淑子Click!とはすでに恋愛関係にあったのだろう。...
View Article今日も下落合のどこかですれちがい。
山本和男様・彩子様ご夫妻Click!が保存されている、松下春雄Click!が撮影した落合第一小学校Click!と第四文化村Click!界隈の風景写真Click!について、もう少し詳しく検討してみたい。前回の記事にも書いたが、この写真は佐伯祐三Click!も直接目にしているほぼ同時期の実景なので、佐伯作品とも照らし合わせて改めて考察したい。...
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