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スターリニズム下のソ連へ乗りこむ高良とみ。
敗戦を境に、「満州」や旧・ソ連国境に近い位置にいた多くの日本兵が、ソ連軍に連行されシベリアの強制収容所(ラーゲリ)で抑留されているが、長期抑留者の間に大きな変化が起きたのは敗戦から7年後、1952年(昭和27)5月12日になってからのことだった。日曜日で休日のはずなのに、抑留者たちは営外(屋外)作業を命じられたのだ。...
View Article陸軍士官学校で配られた写真。(6)
陸軍士官学校(陸士)へ入学された方のお宅に眠っていた、写真資料をシリーズ連載でご紹介してきているが、有償配布された写真Click!には、訓練や演習、分列行進などを撮影したスナップ写真の割合いがもっとも多い。これらの写真は、演習が実施されるたびに、陸士専属の写真部カメラマンが部隊に随行するかたちで演習場を駆けまわり、シャッターを切ったものだろう。...
View Article波乱万丈だった聖母坂のパン屋さん。
1937年(昭和12)ごろ、下落合の聖母坂Click!を上りきったところに、「梅屋」という屋号のパン屋が開店した。経営していたのは、20年におよぶ欧米での海外生活を終えて帰国した、星野新吉とろく(緑)夫人だった。米国から帰国の直後、夫妻は下落合2丁目679番地の笠原吉太郎Click!と美寿夫人Click!が暮らす、いわゆる笠原アトリエClick!に身を寄せている。...
View Article虫だらけの下落合このごろ。
今年は、例年にも増して昆虫類Click!がたくさん見られる。特に目につくのがアゲハやカナブンの類で、さまざまな種類の虫が花に群がっている。晩年の三岸好太郎Click!が見たら喜ぶだろうけれど、うちの女性たちが眺めたら卒倒しそうな光景だ。トンボの数も多く、久しぶりにおとめ山公園Click!の草原でウスバキトンボの大群を見た。...
View Article街歩きで、ぜひお願したいこと。
今年の5月から7月初旬ぐらいにかけて、下落合は街歩きがたいへん盛んだったようだ。平日・休日を問わず、あちこちで10~30人ほどで歩く団体を見かけた。数人で歩く人たちを加えたら、その数は膨大な人数となるだろう。落合地域が注目されていてうれしい反面、ルートの大半は一般の静かな住宅街なので、そこには守ってほしいマナーがあると思うのだ。...
View Article目白の怖い夜。
三岸節子Click!に連れられ、鷺宮の第一アトリエClick!から西武電鉄Click!で高田馬場駅Click!へと出て、駅前から市電に乗り換え江戸川橋で下りると、暗闇の新目白坂を母子4人で上っていった長女・陽子様の、1931年(昭和6)12月の大晦日も近い夜の証言から、まず聞いてみよう。 ▼...
View Article五郎久保稲荷が御霊社であってみれば。
以前、このサイトで民俗学的なアプローチから、東日本における「御霊(ごりょう)」と「五郎(ごろう)」Click!との関連性について書いたことがある。それは、鎌倉期の落合地域に隣接する和田山(現・哲学堂公園Click!)に、和田氏の館が存在したこととからめ、鎌倉に散在する御霊社(五郎社)Click!と、落合地域の御霊社との相似について書いた記事だ。...
View Article下落合にあった神田明神社。
以前、下落合の御留山Click!にからめて、さまざまな結界やレイラインが形成されている記事Click!を書いたことがある。巫術や呪術、八卦、方位、風水、卜・・・と名称はどうでもいいのだが、おもに江戸期以前に用いられていた「望気術」に照らし合わせ、落合地域がどのような「気」味であり「地」味であり、「気」配であるのかを改めてとらえ直してみた内容だ。...
View Articleハツタケと赤ワインは合うだろうか。
ずいぶん前になるが、下落合の御留山に生える、さまざまなキノコの写真Click!(撮影・松尾德三様)をご紹介したことがあった。昔から武蔵野の森に生える、典型的なキノコ類なのだろう。子どものころ、この季節になるとよくキノコ採りをして遊んだ記憶がある。キノコといえば、すぐにアカマツの根に生えることが多いマツタケが想い浮かぶけれど、わたしがよく集めてまわったのはクロマツ林の根に顔をだすハツタケだった。...
View Article秋めく季節の怪談・奇譚。
今年の夏は、落合地域とその周辺域で語り継がれている怪談話Click!をあまり記事にできなかったので(「怪獣サイ」Click!ぐらいだろうか)、季節はずれではあるけれどいくつかご紹介してみたい。いずれも、西隣りの上高田村(町)に伝わった怪談なのだが、そこに登場する寺社や墓地は、落合地域ともいくぶん重なってくるので、書きとめる意味は高いと思う。...
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