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1,500万人のみなさん、ありがとう。
先日、拙ブログへの訪問者数が、のべ1,500万人を超えた。いまは14年目を迎えているので、平均すると1年間にのべ100万人以上の方々に読まれた勘定になる。相変わらず長くて拙い文章ばかりだが、よろしければこれからもチラリと覗いていただければ幸いだ。◆2018年1月17日 PM17:00現在 ★...
View Article下落合から中野広町へ転居した相馬邸。
ずいぶん以前、下落合(1丁目)310番地(現・下落合2丁目)の御留山Click!に建っていた相馬邸Click!が、中野へと転居した経緯をご紹介Click!した。1936年(昭和11)2月に死去した相馬孟胤Click!にかわり、相馬家の跡を継いだ相馬恵胤が家督相続をしてから決定されたものだ。...
View Articleこのごろの鉛筆をめぐる話。
岩崎家Click!の三菱財閥よりも10年も前に、“スリーダイヤ”の商標登録を行い、日本で最初の鉛筆工場を新宿御苑Click!の東隣り、内藤新宿1番地(現・新宿区内藤又1番地)に起ち上げた眞崎鉛筆(三菱鉛筆)についてご紹介Click!した。当初は工場に接した玉川上水(渋谷川源流)の水車で、あるいは周辺地域の水車小屋で黒鉛の粉砕を行なっていたが、その後同社の事業はどうなったろうか。...
View Article陸軍中野学校の演習旅行1941年。
戸山ヶ原Click!に設置された陸軍兵務局分室Click!(工作員の符牒“ヤマ”Click!)は、1937年(昭和12)の春に防衛課が発足するとともに、同年暮れには「後方勤務要員養成所」(のちの陸軍中野学校)が設立されている。同養成所は、陸軍の3大統括者だった陸軍大臣・参謀総長・教育総監のいずれにも属さず、陸軍の主要組織からは切り離された特異な存在だった。...
View Article元気なカモの絵が欲しかったのに。
1973年(昭和48)に、早稲田大学校友会の学報編集委員会から発行された「早稲田学報」に、佐伯祐三Click!に関する面白い文章が掲載されている。『佐伯祐三の手紙と鴨の画』と題する、同大学のOB池田泰治郎のエッセイだ。池田の母親である池田ヨシは、佐伯の妻である米子夫人Click!(池田ヨネ)の姉であり、佐伯米子Click!から見れば池田泰治郎は甥ということになる。...
View Article大賀一郎がつづけたハスの開花音批判。
ハスが開花するとき、「ポン」ないしは「ポッ」という音がすると信じていた人たちが数多くいたようだ。下落合の大賀一郎Click!は、植物学者の牧野富太郎Click!らとともに、大マジメでハスの「開花音論争」あるいは「開花音批判」を行なっている。...
View Article清戸道の鶴亀松に登った景観は。
かなり以前のことになるが、1857年(安政4)に発行された尾張屋清七版の切絵図「雑司ヶ谷音羽絵図」を見ていて、細川越中守の抱え屋敷Click!(現・目白運動場/肥後細川庭園界隈)の清戸道Click!(現・目白通り)門前に「鶴亀」の記載を見つけ、当時連載していた「ミステリーサークル」シリーズClick!で塚ではないかという記事Click!を書いた。...
View Article駅売りコーヒー牛乳が流行った守山商会。
先日、知人から守山乳業(株)が販売していた「守山牛乳」の空き壜を2本と、1938年(昭和13)に出版された『守山商会二十年史』(守山商会/非売品)をいただいた。知人は、わたしが神奈川県央の海辺育ちClick!なのを知っているので、「これ、懐かしいでしょ」とプレゼントしてくれたのだ。...
View Article佐伯祐三は守山珈琲牛乳を飲んだか。
1927年(昭和2)の夏、佐伯祐三Click!は家族を連れて神奈川県中郡大磯町山王町418番地の借家Click!へ避暑に出かけている。直接の目的は、百日咳が治ったばかりの彌智子を、潮風が吹く気温が低めな海辺でゆっくり静養させるためだった。当時、結核や百日咳など肺の病気には、海岸地帯で療養するのが効果的だと信じられてい時代だ。...
View Article織田一麿が夢みた「創作版画の大衆化」。
大正期から昭和初期にかけ、目白文化村Click!や洗足田園都市Click!に象徴されるような、郊外のモダンな住宅街が形成されるにつれ、西洋館の壁面を飾る洋画が大流行した。でも、自宅の壁面に油絵を飾れるのは「中流」以上の家庭であり、多くの庶民にとっては油彩画は手のとどかない高嶺の花であり、また庶民の借家には大きめな油絵を飾れる書斎や応接室などの壁もなかった。...
View Article東京大空襲より大規模だった平塚大空襲。
守山商会Click!の『守山乳業株式会社四十年史』(1957年/非売品)を読んでいたら、1945年(昭和20)7月16日の夜半にみまわれた平塚大空襲の様子が記録されていた。子どものころ、親父の仕事Click!の都合で10年以上は住んでいた街Click!なので、同空襲のことは地元でも頻繁に耳にしていた。今回は、平塚大空襲の全貌を守山商会の被災とからめてご紹介したい。...
View Article下落合を描いた画家たち・南風原朝光。
以前、1927年(昭和2)ごろから下落合(4丁目)2080番地(現・中井2丁目)にある一原五常アトリエClick!に住みついた、名渡山愛順Click!をはじめ沖縄の洋画家たちについて記事Click!を連載したことがある。同じころ、西武線・中井駅のすぐ近くに住んでいた、同じ沖縄出身の南風原朝光Click!(はえばるちょうこう)についても何度か触れていた。...
View Article続・佐伯の「制作メモ」と描画位置を整理する。
10年前に、佐伯祐三Click!の「制作メモ」Click!に記載された作品が、下落合(現・中落合/中井含む)のどこを描いたものかを整理Click!したことがある。10年余が経過したいま、新たに発見した画面や作品も増えているので、改めてまとめてみたいと思う。...
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