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目白中学校の「目白学園」構想とパンデミック。
下落合437番地にあった目白中学校Click!の卒業生名簿を見ていると、落合町や戸塚町、牛込区、淀橋町、高田町、西巣鴨町、長崎町、野方町、中野町など現在の新宿区や豊島区、中野区の在住者が多かったことがわかる。また、その教育方針に共鳴した親たちが、子どもを下宿させてまで同校に通わせているケースも数多くあり、北海道から沖縄県までの全国はもちろん、台湾や朝鮮からも生徒たちClick!が集まっていた。...
View Articleおちおち牢屋にも入れない村山知義。
上落合(1丁目)186番地のアトリエに住んだ村山知義Click!は、子どものころからなんらかのコレクションをするのが好きだった。それは大人になっても変わらず、さまざまな資料やグッズを集めてはていねいに整理し保存していた。その蒐集癖が、連れ合いの村山籌子Click!にはまったく理解できなかったようだ。...
View Article年を越せない貧乏な刀鍛冶たち。
今年も、拙サイトをわざわざ訪問いただきありがとうございました。くれぐれも健康に留意され、よいお年をお迎えください。来年も、どうぞよろしくお願いいたします。 ★...
View Article「カウヒイ」は堪えられない大田南畝(蜀山人)。
明けまして、おめでとうございます。相変わらずCOVID-19禍は終息せず、先行きの生活が見えない1年のスタートですが本年も旧年同様、どうぞよろしくお願いいたします。 ★...
View Article太平洋画会があった下落合の海洲正太郎邸。
下落合に太平洋画会Click!の本部事務所があったと聞いたら、美術に興味がある方なら「ウソでしょ、太平洋画会は谷中だよ」というに決まっている。わたしもビックリしたのだが、太平洋画会が下落合にあったのは史的事実だ。...
View Article雑司ヶ谷金山にいた石堂派のゆくへは?
現在の千代田城Click!の一部城郭に包括されたエリアに、太田道灌が江戸城Click!を構築したのが1457年(康正3)であり、江戸東京は570年近い日本で最古クラスの城下町ということになる。もっとも、江戸城と千代田城とでは規模がまったく異なるため、城下に形成された(城)下町Click!も室町期と江戸期とではケタちがいの規模だ。...
View Article弁慶は薙刀(なぎなた)など持たない。
この正月に、面白い絵葉書を2葉いただいた。ひとつは、1926年(大正15)に来日したフランス人の詩人であり、のちに浮世絵の風景画(安藤広重Click!など)に魅せられて画家あるいは版画家になるノエル・ヌエットが描いたスケッチ『江戸川、下戸塚』だ。もうひとつが、やはり浮世絵がらみで月岡芳年が明治期に描いた、『月百姿(つきひゃくし)』シリーズの100枚の中に含まれる1作『月下の斥候/斎藤利三』だ。...
View Article1963年(昭和38)ごろの「地番変更案」地図。
元・東京都職員のお宅から、面白い青焼き資料が見つかった。1965年(昭和40)に地名および地番変更が行われる直前に作成された、下落合中・西部、上落合、そして西落合の地番変更計画案図面だ。これらの地域は、同年に地名(町名)・丁目・地番変更が行われているが、下落合の東部(現・下落合1~4丁目)はいまだ手つかずで、1971年(昭和46)に丁目と地番の変更のみが行われている。...
View Article江戸期からの中野伝承と丸山・三谷。(上)
村尾嘉陵Click!が著した『江戸近郊道しるべ』、国会図書館では『四方の道草』で、内閣文庫では『嘉陵記行』(「紀行」ではない)というタイトルで残されている日記には、1818年(文政元)8月26日(太陽暦では9月下旬ごろ)に中野の本郷村(現・中野区本町)から角筈村(現・新宿区西新宿)界隈を散策した記録が残っている。...
View Article長谷川利行のスケッチブック。
『江戸期からの中野伝承と丸山・三谷。』Click!シリーズ記事の連載途中だが、展覧会の開催期限がある急いで書きたい記事ができたため、そちらを優先して書いてみたい。 ★...
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