Quantcast
Channel: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
Browsing all 1249 articles
Browse latest View live

Image may be NSFW.
Clik here to view.

「洋服になっておくれ」の落合第二小学校。

 西武線・中井駅の南側、妙正寺川の河畔にあった上落合745番地(のち2丁目763番地)の落合第二尋常小学校Click!へ、初めて洋装で出勤した女教師の証言が残っている。大正期が終ったばかりのころ、1927年(昭和2)のことだ。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

棒打ち歌が流れる西落合の初夏。

 下落合や上落合の物語やエピソードは、過去にずいぶんご紹介してきているが、葛ヶ谷(のち西落合)の記事は相対的に数が少なめだ。葛ヶ谷(西落合)地域の耕地整理が進み、人々が多く住みはじめたのが昭和10年代以降なので、それまでは東京近郊の典型的な農村だったせいなのだが、西落合にあった斎藤牧場Click!の証言につづき、たまには同地域に拡がる農村をテーマにした記事を書いてみたい。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

空襲前に失火で燃えた落合第二小学校。

 1944年(昭和19)の10月から11月にかけて、陸軍航空隊が撮影した落合地域の空中写真、あるいは1945年(昭和20)4月7日の第1次山手空襲Click!(4月13日夜半)直前に、米軍の偵察機F13Click!が撮影した同地域の空中写真などを、これまでためつすがめつ繰り返し眺めていながら、わたしはうっかり見落としていた。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

練馬で生徒が集まらない目白中学校。

 1926年(大正15)10月、落合町下落合437番地Click!から上練馬村高松2305番地Click!へ移転した目白中学校Click!は、入学希望者の急減に頭を痛めている。やはり東京市街から遠いせいか、同校へ進学を希望する生徒たちも減っていたのだろう。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

下落合の和田富子(高良とみ)と上代タノ。

 一昨日、拙ブログへの訪問者がのべ1,900万人(PV)を超えました。いつもお読みいただき、ありがとうございます。もうすぐ17年目に入りますので、そのとき改めてこの16年間にわたる感想などを綴ってみたいと思います。今後とも、よろしくお願いいたします。  ★...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

娘から見た料治熊太と料治花子。

 2年ほど前に、落合町葛ヶ谷4番地(のち西落合2丁目4番地、1965年より西落合1丁目8番地)に住み、版画雑誌「白と黒」や版画集を発行していた料治熊太(朝鳴)Click!についてご紹介したことがあった。その際、妻の料治花子については触れなかったが、彼女は小説家あるいは随筆家として昭和初期から執筆活動をしており、本の出版や雑誌への寄稿などを通じて名が知られた作家だった。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

落合地域にみる昭和初期の「断層」。

 落合地域の人々や住宅のことを、多彩な資料に当たって調べていると、昭和初期に特徴的な大きな「断層」があるのに気づかされる。地質学における地層上の「大絶滅」ではないけれど、大正期から住んでいた落合住民が少なからず姿を消し、また建築からそれほど年月を経ていない住宅が、惜しげもなく解体され建て替えられたりしている。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

織田一磨の「東京郊外風景」。(上)

 織田一磨Click!が、明治末から大正前期にかけ山手線近くの市街地近郊を「武蔵野」Click!ととらえ、たくさんのタブローClick!やスケッチ類Click!を残しているのをご紹介Click!してきた。さらに足をのばし、中央線をさらに西へたどりながら、中野や吉祥寺、井の頭、府中、五日市などの方面へ写生に出かけている。今回は、東京西郊でスケッチされた作品を中心にご紹介したい。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

織田一磨の「東京郊外風景」。(下)

 織田一磨Click!は、1903年(明治36)に永田町にあった兄の住まいから独立して、本郷区の森川町に住むようになってから、市街地(東京15区Click!)の外周域をこまめに散策しては、風景を写生しはじめている。当時は、東京市電のネットワークなどまだない時代で、ほとんどが徒歩による写生散歩だった。本郷から歩きだし、中野や大久保、新宿まで足をのばすこともめずらしくなかったようだ。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

自分を「オレ」といった目白の師匠夫人。

 落合地域に隣接する街には、昭和を代表する一門をかまえた落語家たちが住んでいる。上落合の南隣りにあたる柏木(現・北新宿)には6代目・三遊亭圓生Click!が、下落合の東隣り、目白駅の向こう側には5代目・柳家小さんClick!がいた。どちらも、昭和後期の落語界をしょって立った大看板だ。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

勤労動員で螺旋管工場に通う料治花子。

...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

ブログ17年目の今日に想うこと。

 この11月24日で、拙ブログは17年目を迎えた。ずいぶん長いことつづいたものだが、最近は落合地域とその周辺域のかなり細かい事績まで判明してきているので、書く側としてはますます面白い。ちょっとした記録にも、それに重ねあわせる同時代のエピソードや近所の出来事などが、シンクロしていくつも思い浮かぶ。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

ラジオ体操に駆逐された和式「自彊術」。

 いまや学校や職場でよく行われている、ラジオ体操が広く普及したのは昭和10年代以降のことだ。1928年(昭和3)に、NHKが米国の放送局をまねてドイツ風の体操を導入し、ラジオで流しはじめたのが最初だった。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

国分寺跡に布目瓦を探す料治熊太。

 わたしが子どものころ、旅行で奈良の斑鳩を訪れたとき、法隆寺の若草伽藍跡Click!へ入れてもらい、そこで創建法隆寺に葺かれていたとみられる布目瓦の破片を探したことがある。巨大な礎石がポツンとひとつあるだけで、一面に草が繁るなにもない原だったが、ところどころに黒い地面がのぞいていた。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

最高傑作とまでいわれたフランス式彩色地図。

 1880年(明治13)の明治初期に、落合地域の地形などを採取・記録して作成された通称「フランス式彩色地図」Click!、正式名称を「第一軍管地方二万分一迅速測図」について書いたことがある。江戸期からあまり変わらない、この地域に関する明治初期の地勢が視覚的に把握できて、非常に貴重な一級資料だ。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

無謀な戦争は惨敗必至と上代タノ。

 1941年(昭和16)12月8日、日本が米英に宣戦布告をすると、留学しながら欧米の教育機関や社会状況などを仔細に視察して帰国している上代タノClick!は、その歴然とした国力のちがいを知悉していたためだろう、「今度の戦争は無謀な戦いだ」とさっそく周囲に語っている。また、「米軍の機動力に対し、日本の無計画な軍事行動が破綻をきたすのは必至である」と、開戦早々に惨敗を正確に予見した。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

上落合が壊滅した空襲被害。

 上落合地域の街並みは、1945年(昭和20)の4月13日夜半と5月25日夜半の二度にわたる山手大空襲Click!でほとんど壊滅した。4月13日の第1次山手空襲Click!では、おもに旧・神田上水(1966年より神田川)や妙正寺川沿いの工業地帯Click!がねらわれ、5月25日の第2次山手空襲Click!では上落合の街全体に焼夷弾が落とされている。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

料治花子がつづる女子挺身隊の記録。

 西落合1丁目31番地(1965年より西落合1丁目9番地)に住んだ料治花子Click!は、敗戦間近の1944年(昭和19)1月29日より、町会・隣組Click!に課せられた女子挺身隊員Click!として、西落合1丁目にあった螺旋管製作所へ出勤している。落合地域の町会・隣組における、勤労動員の詳細な記録はめずらしいので、記事に取りあげてみたい。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

高田町を訪ね歩いた感想文1925。(上)

 自由学園Click!が、1925年(大正14)に刊行した『我が住む町』Click!(非売品)の巻末には、訪問調査に参加した102名による女学生たちClick!の感想文が掲載されている。本科1~4年生、予科、高等科1~2年と、学年をまたいだ取材後の代表的なレポート類だ。ただし、この中には自由学園に残って情報管理や進捗管理など、後方支援を行っていた女学生たちClick!は含まれていない。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

高田町を訪ね歩いた感想文1925。(下)

...

View Article
Browsing all 1249 articles
Browse latest View live