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戦後の松下春雄と鬼頭鍋三郎のアトリエに。
西落合に隣接して建っていた荒玉水道Click!の野方配水塔Click!は、敗戦間近になると繰り返し米戦闘機の機銃掃射にさらされている。その近く、西落合1丁目208番地(現・西落合3丁目)にアトリエをかまえていた洋画家・大内田茂士は、その様子をのちに取材にやってきた「落合新聞」Click!の竹田助雄に語ってる。...
View Article上落合の子どもたちの下落合通い路。
1921年(大正10)に、上落合470番地へ建設された建築家・吉武東里邸Click!については、これまで何度か記事Click!に取りあげてきた。特に関東大震災Click!の直後には、壊滅してしまった大手町の大蔵省営繕局Click!が入った庁舎に代わり、国会議事堂Click!の企画・設計は上落合の吉武邸内でつづけられている。...
View Article大橋の橋桁崩落からもうすぐ120年。
以前、1807年(文化4)8月19日(旧暦)に起きた、永代橋Click!の崩落事故Click!について書いたことがある。深川八幡(富岡八幡宮Click!)の祭礼が行われている最中に、大勢の見物客で賑わっていた永代橋が突然崩落し、死者・行方不明者1,500人以上の大惨事となった事故だ。目黒に移転した海福寺の山門前には、「文化四年永代橋崩落横死者供養塔」がいまでも残されている。...
View Article地主と箱根土地に板ばさみの秋山清。
秋山清が第一文化村で暮らしていた、借家の所在地が悩ましい。以前、特定した下落合4丁目1379番地の北原安衛邸Click!は、たとえその一部を借りていたとしても、とても当時の秋山の収入では借りられる建物でも立地でもない。また、下落合4丁目1379番地は、ちょうど秋山が住んだころ微妙に地番変更が行われ、1938年(昭和13)に作成された「火保図」にみえる同地番の3軒の住宅だけではなかったようだ。...
View Article焼け跡から復興する目白文化村。
1954年(昭和29)の夏、落合地域の上空を低空で旋回する飛行機から撮影された空中写真が残されている。竹田助雄Click!の「落合新聞」Click!編集室がある下落合の中部、目白通りに近い目白文化村Click!の第一文化村が中心の撮影で、同じ飛行機から目白駅寄りの下落合東部や、西部のアビラ村界隈が撮影されているかどうかは不明だ。...
View Article小島善太郎アトリエ(百草画荘)を拝見する。
先日、日野市の百草園近くにある百草776番地の小島善太郎アトリエ、すなわち百草画荘へお邪魔してきた。小島善太郎Click!は、拙サイトでは何度も繰り返しご紹介している1930年協会Click!、あるいは後継団体である独立美術協会Click!の画家で、お嬢様の小島敦子様および記念館の立川準様Click!のお招きでうかがったしだいだ。...
View Article奇妙な強盗被害者の座談会。
今日ではありそうもない企画だが、強盗の被害者ばかりを集めた「強盗被害者座談会」が新聞紙上へ連日連載されていた。座談会は、1929年(昭和4)1月に東京朝日新聞社の本社で開かれている。被害者とは、同年1月の段階でいまだに逮捕されていなかった、「説教強盗」Click!と「ピストル強盗」Click!に遭遇した人々だ。...
View Article山手線と山手貨物線が走る切り通し。
もともと簡易なスケッチなので、色彩の規定もハッキリしたフォルムの描写もないため、厳密な風景の特定はむずかしいのだが、佐伯祐三Click!がこの画面を下落合の周辺で描いているとすれば、思いあたる場所は2箇所ほどある。...
View Article矢田津世子の『獄中の記』。
矢田津世子Click!が遺したノートから、特高に逮捕された記録を詳細につづった『獄中の記』が、1989年(平成元)に発見された。釈放されてから間もなく書かれたとみられ、すべての刑事や看守が実名で書かれており、彼女の記憶力のよさとともに戸塚警察署2階にあった特高室の様子が生々しく刻銘に記録されている。...
View Article学習院の乃木希典vs哲学堂の井上円了。
このサイトでは、夏になると落合地域とその周辺域で語られてきた“怪談”を、これまで何度となくご紹介してきた。でも、今回はそれらの怪談に真っ向から「ウッソだぁ~!」と反駁している、井上円了Click!についてご紹介したい。...
View Article緑深い下落合の風景写真1963年。
東京オリンピックの前年、1963年(昭和38)に撮影された下落合の風景写真が2枚残っている。いずれも、竹田助雄Click!の「落合新聞」Click!に掲載されたものだが、十三間通り(新目白通り)ができる以前の下落合の情景で、いまとなっては大通りの下になってしまった街並みを知るうえでは貴重な写真だ。...
View Article下落合を描いた画家たち・大内田茂士。
西落合1丁目208番地(現・西落合3丁目)にアトリエをかまえていた大内田茂士Click!は、1986年(昭和61)に『落合の街角』と題するタブローを残している。(冒頭写真)...
View Articleしばしば盗まれた展覧会の絵画。
ドロボーによる被害が多かった曾宮一念Click!だが、1920年(大正9)に借りていて被害に遭った下落合544番地Click!の界隈は、どのような風情をしていたのだろう。当時の借家周辺を描写したエッセイを見つけたので、引用してご紹介したい。...
View Article「赤線」がもらえた水練場の進級試験。
落合地域でも、近くの川で泳いだ記憶を持つ方は多い。ここの記事では、妙正寺川にあったバッケ堰Click!のさらに上流、バッケ坂Click!と上高田の境目あたりにできた新バッケ堰で泳いでいた子どもたちの様子をご紹介している。...
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