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下落合を描いた画家たち・清水多嘉示。(7)
清水多嘉示Click!が描いた作品の中で、下落合の風景とみられる画面について1点ずつ検討を重ねてきた。今回は、2015年(平成27)に武蔵野美術大学彫刻学科研究室が刊行した『清水多嘉示資料/論集Ⅱ』によれば、やはり『風景(仮)』(OP594)とタイトルされた、「不明(帰国後[1928年以降])」とされている作品だ。(冒頭画面)...
View Article「事故物件」へ転居してしまう小山内薫。
先年、高田馬場駅から田島橋Click!を経由し下落合方面へと抜けられる、栄通り沿いにあった古いふるい喫茶店の「プランタン」が、裏手から出火した火事のために延焼した。日本全国には、「プランタン(春)」と名づけられた喫茶店が、はたして何軒ほどあったものだろうか?...
View Article下落合を描いた画家たち・清水多嘉示。(8)
冒頭の画面は、清水多嘉示Click!が渡仏する2年前、1921年(大正10)に制作した『庭の一部』(OP007)という作品だ。同作は、同年9月9日から開催された二科展の第8回展に入選している。この画面をひと目観て、これとよく似た構図の別の作品を、わたしはすぐに想い浮かべた。翌1922年(大正11)に描かれ、同年開催の第4回帝展(旧・文展)に出品された、牧野虎雄『百日紅の下』Click!だ。...
View Article東海道線貫通の牛頭天王社(品川大明神)。
明治期に活版印刷された『新編武蔵風土記稿』Click!には、あちこちに破壊される前の古墳の様子を記録した記述が見える。特に、古墳のある地域に伝承された「怪談」や「ほんとにあった怖い話」の類も含めて、ところどころ紹介されているのが面白い。そこには、古墳(古塚)に近づき関わってしまったがために、「屍家」Click!の「呪い」や「祟り」にみまわれ、悲劇的な事件へと発展してした物語も記載されている。...
View Article下落合を描く清水多嘉示の軌跡。
8回にわたり連載してきた、清水多嘉示Click!が描く「下落合風景」作品とみられる描画場所の特定ないしは想定から、彼が下落合に残した軌跡を改めてたどってみるのが今回のテーマだ。そして、清水が残した足跡からはなにが見えてくるのだろうか? このような試みは、同じく「下落合風景」作品を数多く連作している佐伯祐三Click!や松下春雄Click!でも、これまで検討・考察してきたテーマだ。...
View Articleもうひとつの佐伯祐三『堂(絵馬堂)』候補。
この13年間、佐伯祐三Click!が描いた『堂(絵馬堂)』Click!のモチーフを探しつづけているが、この堂がどこに建っていたものなのか規定できないでいる。もっとも疑わしいのは、下落合(現・中落合/中井含む)の境界エリアから、西へわずか180m前後のところにある上高田の桜ヶ池不動堂Click!だが、現在の建物は戦後の1954年(昭和29)にリニューアルされたものだ。...
View Articleすぐに「叩っ殺してやる!」の戸塚町議会。
少し前、すぐに「斬ってやる!」と刃傷(にんじょう)沙汰になりそうだった高田町議会Click!の様子をご紹介したが、町長に高田警察署から3名の護衛はついたものの、特に何ごともなく時代はすぎた。ところが、その南に位置する戸塚町では、町議会が脅迫や殴り合いのケンカ場と化し、何度となく流血騒ぎを起こしている。...
View Article大倉山(権兵衛山)の伊藤博文別邸。
もともとは町会名簿に掲載されていた、時代的にはもう少し前の文章のようだが、1998年(平成10)に落合第一特別出張所から発行された『新宿おちあい―歩く、見る、知る―』には、長谷部進之丞Click!の興味深い文章がイラスト入りで掲載されている。『古事随想』と題されたそれには、大正末から昭和初期にかけて見られた下落合の風景や伝承が、少年時代の想い出とともに活写されている。...
View Article神近市子が観察する時雨の“座”。
1957年(昭和32)に毎日新聞社から出版された、神近市子Click!『わが青春の告白』の装丁が面白い。ひとつの時代が終焉し(敗戦で明治政府に由来する大日本帝国が滅亡し)、まったく新しい国家と時代を象徴するかのような写真だ。そこには、落合地域の細い道路をはさんで「隣人」同士だった“ふたり”が象徴的に写っている。...
View Article藤川栄子と佐多稲子が通う椿堂文具店。
物書きのせいか、窪川稲子(佐多稲子)Click!は早稲田通り沿いにあった文房具店へ頻繁に出かけている。筆記用具や原稿用紙を購入していたのは、戸塚3丁目347番地に開店していた文房具店「椿堂」だ。藤川栄子Click!は洋画家だが、用紙やスケッチブック、名刺づくりなどで同文具店をよく利用していたらしい。...
View Article不運な勝巳商店の住宅地開発。
以前、1940年(昭和15)に「目白文化村」と銘打ち、第二文化村に隣接する西側エリアを販売した勝巳商店Click!についてご紹介した。箱根土地Click!による目白文化村Click!の販売から16年たった同年、まったく同名の宅地開発を行なった勝巳商店の事業から、「第五文化村」Click!の誤伝が生まれているのではないか?……という課題も書いてきた。...
View Article下落合の水車と日本初の鉛筆工場。
いまの新宿御苑Click!(旧・内藤駿河守下屋敷)の東隣り、玉川上水の流れで渋谷川の源流となる谷堀に面したあたり、内藤家に建立されていた多武峰内藤稲荷社Click!の西側一帯には、昭和初期からの静かな林間住宅街が渓流沿いに形成されている。この住宅街が開発される以前、ここには眞崎仁六が建設した日本初の鉛筆工場が建っていた。当時の地番でいうと、四谷区内藤新宿1番地(現・新宿区内藤町1番地)のエリアだ。...
View Article空中写真の活用と米軍本部「伊勢丹」。
少し前、このサイトで多用する歴代の空中写真に関連して、空からを撮影する際の対空標識と三角点Click!のテーマについて書いた。今回は、そもそも空中写真が撮影されるようになったきっかけと、その歴史について少しまとめて書いてみたい。いつも何気なく引用する空中写真だが、その史的な経緯や活用法を踏まえて観察すると、その観察法や読み解き方に新たな視座が生まれるかもしれないからだ。...
View Article下落合を描いた画家たち・満谷国四郎。(2)
下落合753番地に住んだ満谷国四郎Click!は、同じ太平洋画会研究所の吉田博Click!と同様に、ほとんど下落合の風景を描いていない。大正の早い時期からアトリエClick!をかまえているにもかかわらず、周囲に拡がる東京郊外の風景はあまり画因にはならないと感じていたようだ。そのかわり、アトリエの前に拡がる庭の光景や自邸で飼っていた動物を、ときどきモチーフに取り上げている。...
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